五行によって、その人の身体的なこと、生来備わっている気質、思考様式などの具体的事象を推察することになり、この章で説明する通変の視点によって、それらがどのように、人に見える形で表現されるかを推察することになる。概略的な言い方をすれば、五行の事象は「その人の内的要素」を知るための視点であり、ここで述べる通変の事象は、「相手のある事象」を知るための視点と言える。
「相手のある事象」とは、対人、対社会活動におけるその人の行動様式を推察するという意味である。例えば、行動力がある、明るい、やさしい、などといった人の評価の対象になる性格・言動を見るための視点であり、また社会活動の結果である、経済的な問題とか社会的地位といったことを見る視点となるのである。
さらに通変は古来より、その人の六親(りくしん)を見る視点とされている。六親とは、中国の古書によると、「父子、夫婦、兄弟」の六とする考え方と、「父・母・兄姉・配偶者・弟妹・子女」という二つの考え方がある。ともに肉親・家族ということであるが、四柱推命でいう六親は後者である。生まれる前に、父、母、兄姉があり、生まれたのちに、弟妹、配偶者、子女がある、という言われ方がされることもある。ちなみに子女の「子」は男の子の美称で、「女」は、女の子を意味する。
通変に配されている六親には、部分的に実証性はあるが、四柱八字は一個人のものであるはずなのに、なぜ四柱八字中に、まったく別の人格であり、別の個体である父とか母のことを知ることができるのか、という疑問がある。ましてや配偶者はもともとは他人である。また、通変により、金銭に恵まれるかどうかも見ることになるのだが、人という生物を表示する四柱八字に、どうして金銭という無機物の情報が含まれているのか。
これらの点に何の疑問を抱くことなく、四柱推命を学び続けるなら、知らず知らずのうちに誤った方向へと進んでしまう恐れがあるのである。これは四柱推命に限らず、運命学を学ぶ人が陥りやすい危険な落とし穴なのである。
通変により、その人の父母のことは、六親の中で最も詳しい点まで知ることができる。それは両親から遺伝子を半分ずつ受け継いでいるから当然のことと言えるが、四柱八字中に父も母もいるわけがないのである。これをどのように考えるべきか? この点については、以下の各通変の事象の解説の中でその考え方を説明することにする。
また通変の作用には、その視点の中心となる日干から見て、生剋の作用の矢印が「外向き」か「内向き」かというごく単純な視点から、具体的事象のあり方に関わる共通性が存在する。
つまり食傷と財は、図のように外向きの矢印で表示することになるが、このことがそのまま具体的事象のあり方に関わることになるのである。また官殺と印は矢印が日干に向かうことになるので、内向きの事象に関わることになるのである。
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「外向き」「内向き」と言っても漠然としているため、理解できないと思われるが、以下の各通変の作用の解説の中でその意味するところを詳しく説明していくことにする。この「外向き」「内向き」の視点から通変の作用を論じている書は、中国にも、また日本の四柱推命の書にも見かけたことがない。本書独自のものであろうと思われる。
なお、通変の事象は、天千と蔵干を比較すると、天干にあるほうがはるかに明確に、 た特徴的な事象として現われる。これは、通変の視点の中心である日干が天干であることに起因すると考えられる。また、日干に隣接している、日の蔵干と月干、時干の通変は、その人の特徴となるような事象に関わることになり、年干は日干から離れており、月干を通して間接的に日干に関わることになるため、その通変としての事象の影響の見方は異なってくる。そして年の蔵干、月の蔵干、時の蔵干は、それぞれの天干と隣接する蔵干と関わることにより間接的に日干に影響を与え、それぞれの存在は、本章で説明する定位に配された事象に関わり、意味と作用を持つことになる。
また、通変の作用自体には良いも悪いもなく、良い面、悪い面の両方の可能性を包含している。通変の良い面、悪い面のいずれが具体的な事象として現われるかは、日干の強弱と大運と流年に左右されることになるのである。

「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より