この世に存在するありとあらゆるものは、現在の姿のまま、 遠の昔から存在しているのではなく、すべてのものには必ずその始まりがあり、つねに変化し、そして今もなお変化し続けているのである。地球上のすべての生物も、63億年ほど前、海洋に漂っていた膠質(こうしつ)の泡が有機物を取り込んで、自身の複製を作り出す能力を獲得したことがその起源ではないかと考えられている。夜空に輝く星々も、宇宙空間に浮遊していた塵が、とてつもなく長い年数をかけて集まったものである。広大な宇宙でさえ、141億年ほど前に、ビッグ・バンと言われる現象に始まったことが知られている。
古代中国においても、目の前に存在する世界の始まりはどのようであったのかという問題が研究され、―つの結論にたどり着いた。それは現代宇宙論のように天文観測に基づいたものではなく、哲学的な探究の末たどり着いた必然的な結論と言えるものであった。
『老子(道徳経)』には、《天地の始まりに名はない。万物の母には名がある。物ありて混成し、まず天地が生まれた。》とある。つまり、物と物とを識別する手段としての名さえ定義することができない状態から世界が始まったと言われているのである。
『列禦寇』(れつぎょこう)という書には、《形あるものは、形がないものより生まれる天地の始まりには、太易があり、太初があり、太始があり、太素があり、いまだ気は見られなかった。太初は気の始まりで、太始は形の始まりで、太素は質の始まりである。気と形質が合わさって離れていないのを渾淪(こんりん)と言う。》
と言われている。「渾淪」は、混沌(渾沌)とか太極と同意である。天地は何も識別できるものが存在しない混沌とした状態から発生したとされているのである。混沌は英訳するとカオス(chaos)であるが、ここで言われている混沌は、近年確立したカオスとか複雑系という科学の新分野で言われている用語とは意味が異なるので注意が必要である。
『易親』の十翼の―つである「繋辞上伝」(けいじじょうでん)には、《易の根元は太極にあり、これから両儀を生じた。》
とある。この「両儀」が陰と陽のことである。天と地も相対する関係にあることから、「両儀」の意味するところに含まれることになる。つまり、何―つ識別することができるものがない太極という状態から、陰と陽という対立関係にある性状が発生したことが、宇宙生成の始まりであると考えたのである。
陰(マイナス)の電荷を帯びた電子に対して、陽(プラス)の電荷を帯びた電子が存在するが、古代中国人のたどり着いた陰陽という概念は、このような物性そのものではない。日向に対する日陰、男と女、前と後ろ、右と左、南極と北極、未来と過去、明と暗、といった日常的な事柄の対応関係を引き合いにして陰陽の説明がされることが多いが、これらもすべて、陰電子、陽電子と同類のたとえでしかない。陰陽の概念の範疇にはあるが、陰陽の概念そのものではないのである。
陰陽とは、 すべての存在は、必ず相対する性状を備えたものと対になって存在している、 という哲学的概念なのである。また、物事の存在そのものは、矛盾と対立がその本性であり、 矛盾や対立のないところには変化はない、という弁証法的な思想を含んでいる。
古代ギリシア以来、哲学における世界観には二つあり、その―つが弁証法的な世界観であり、もう―つが、弁証法と対立する関係にある形而上学的な世界観である。現在のように、自然科学と言えるものが存在せず、自然現象とか物性について正確な知識がないという時代的制約の中、古代中国において、自然観察の積み重ねの結果、陰陽五行論という弁証法的な世界観が構築されたのである。
なお、陽は、力強く、頑強で、また加速度がついているような状態に対応し、陰は弱々しく、減衰的で、そのため柔軟性がある状態に対応する。そのため四柱推命においては、
陽は男性、陰は女性というのが原則論的な対応関係となっているが、実証的には、性別と陰陽を一対一の関係で考えることは誤りと言えるので、陽男陰女の考えに固執するのは正し
いとは言えない。
「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より