「論語よみの論語知らず」ということわざがあります。やたらくわしい知識はあるが、それがちっとも現実生活や本人の思想や行動に役に立っていないことをいいます。今流にいえば学校の成績はすばらしいが、自分一人では何もできないで母親に面倒を見てもらっている大学生、知識はあるがそれがちっとも役に立っていないエリート役人といったところでしょうか。
易は奥が深いものですが、これは知識が豊富であればそれだけよく理解できるかというと、そうではありません。 むしろ知識よりは直観のほうがずっと役に立ちます。直観とは、自分の心の内部からひらめく一瞬の理解、判断のことで、これは潜在意識のなせるわざといっていいものです。
マーフィー博士がこんな例を報告しています。ある若い男性がフランスに滞在中に一人の女性と知り合いました。 男性は学問も教養もある立派な考え方をする人物でした。
当の女性はまだ少女といってよい若さで、可憐さを残しながらも男を引きつける魅力を持っていました。
すっかり夢中になった男性に、少女は「結婚してほしい」と言いました。男性もすっかりその気になりました。異国の恋、可憐な恋人……男性は幸福感いっぱいでホテルヘ引き上げました。その夜のことです。若い男性は夢を見ました。夢の中に一人の男があらわれて、易の本の中の44の数字をしきりに指差したのです。
朝になって男性は易の本のページをくって44番目の卦を開きました。青年はかねてから易に興味をもっていたのです。そこにはどんなことが書かれていたか。その卦の名は「天風垢(てんぷうこう)」でした。そこには「婦人に気をつけよ」と書かれていました。
このとき青年は直観的に悟りました。「あの少女には何か隠された部分、重大な秘密がある!」彼は少女に会うと「事情があって結婚することはできそうもない」といい伝えて帰ってきました。まもなく彼が帰国のためにホテルを引き払う準備をしていると、刑事がやってきて、少女の居所を尋ねました。刑事の話によると、彼女はいくつかの犯罪の容疑で追われている身でした。彼女は彼とともに国外脱出を計画していたのでした。
このケースは、理性や一般的知識では想像できない決断を下したことが結果的によかった例です。実際に後になって青年が語ったところによれば、その女性はそうした身の上にあることはみじんも感じさせなかったのです。 彼はもし夢のことがなければ絶対に疑うことはなかったでしょう。
身ぶり、手ぶり、知識や教養、センスも上流階級のそれであり「おそらく十人が十人、30分も話をしていれば彼女を好きになる。それもいささかの疑いや不審の念を抱かせずに……」というタイプでした。
だが……とマーフィー博士はいいます。
「青年は実は見抜いていたのです。むろん、それは潜在意識がです。夢の中にあらわれた男はほかの誰でもありません。彼の潜在意識です。彼の理性が夢中になっているために、目ざめているときにいくら説明しても彼はそれを受けつけない。彼女を擁護する言葉をいくらでも語ったでしょう。だから夢の中にあらわれたのです。でも 正解だったのは、青年がその夢の中の指摘で、いっぺんに目が覚めたことです。これは直観力のすぐれた人間でなければなかなか経験できないことなのです」
「マーフィの易占い」J.マーフィ(昭和61年、産能大学出版部)