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キーワード 争い

訟有孚塞。惕中吉。終凶。利見大人。不利渉大川。(しょうはまことありてふさがる。おそれてちゅうすればきち。おわればきょう。たいじんをみるによろし。たいせんをわたるによろしからず。)

「訟」は訴える。「惕」は天命を尊重すること。「天水訟の時、誠があっても塞がって通じない。天命を尊重して中止するなら吉。最後ま でいい分を貫こうとすれば凶。有識者に相談することだ。大川を渡ってはならない」。この卦は訴訟を表わし、したがって、天水訟の時は激しい対立やもめ事の あ る時です。こうした時は、互いに我を張って平行線のままですから、あなたのほうから折れて和解策に転じる心構えが賢明です。また、是が非でもやり遂げよ うと頑張ることがかえってマイナスになる時です。第三者に相談するなどして、冷静に考え、強引なやり方は改めること。

 

〔大意〕争いは自分に理があるように思えても、実は自己の狭量の心に起因していることが少なくない。内部にある怒り、敵意に支配されてはいけません。「否定的な考えを建設的な考えに入れ代えること」が必要です。

万事に誤解、錯覚、行ぎ違いが生じ、八方ふさがりになるというのがこの卦ですが、手だてがないわけではありません。『易経』には「傷れて中すれば吉」とあるように、やり過ぎをいましめ、ひかえ目に事を運べば良いめぐり合わせになります。

また「大人を見るに利ろし」ともあり、これは年上の信頼で含る人、上司など相談し、その忠告に従えば良いということです。同時に忠告を聞く態度は謙虚であることが肝要です。「良薬は口に苦い」というように、正しい忠告は耳に痛いものです。まして争いの渦中にある人にとっては、ときにせっかくの忠告も反発の材料となるでしょう。

しかしそう感じるときのあなたは、怒りや憎しみ、あるいは自己正当化によって、判断の目を曇らされているのです。「忠告には天の声、天の意志がある。たとえどんな内容のものであっても、あなたの聞く態度によって必ず有益なものになる」ことを知るべき です。

争いは潜在意識の理論からいえば、いかに自分の側に正当な理由があっても、心理的な影薯は自己にとってマイナスです。それは肯定思考に反するからです。人生にトラプルは避けられないし、妥協してばかりいられないと思われるかも知れませんが、争いごとでは勝っても負けても良いことはあまりないのです。

なぜなら争うこと自体が両者の関係をより悪化させ、修復不可能な状態にしてしまうからです。争わず問題を解決する方法を見つけるべきです。それにはすべてを肯定的に考えることです。

 

●初6:問題からはなれて、偉大なる創造主と波長を合わせなさい。

不永所事。小有事。終吉。(ことするところをながくせず。すこしきことあり。ついにきち。)

「訴え争いを長引かせずに切り上げる。少々ゴタゴタがあっても最終的には吉」。先を見越して、争いを早めに避けるほうが利口です。小 さな事にはこだわらないこと。

 

●二9:強制的な意志の力を用いると含は、反対のものを手に入れることになる。

不克訟。帰而逋。其邑人三百戸。无[生/目]」。(うったえをよくせず。かえりてのがる。そのゆうじんさんびゃっこ。わざわいなし。)

「逋」は逃げてコソコソ隠れること。「邑人」は村人のこと。「訴えに勝てない。逃れて帰る。関係する三百人の村人たちにも災いが及ば ずに済んだ」。勝ち目もないのに勢いに任せて不満をぶつけないことです。ひとまず退却すること。

 

●三6:あなたの協力者の神性に敬意を表しなさい。

食旧徳。貞厲終吉。或従王事无成。(きゅうとくにはむ。ただしければあやうきもついにきち。あるいはおうじにしたがいなすことなし。)

「旧徳」は旧禄のこと。「王事」は王命による日常の仕事のこと。「主人の所へ帰って、今までどおり養われる。貞正していても危うい が、最終的には吉。日常の仕事をしていれば、たとえ功績がなくても良い」。今まで 行なってきた事が平凡でも一番良い時です。移り気は良くありません。

 

●四9:偉大な知恵の発動は目に見、耳で聞くことができるとは限らない

不克訟。復即命。渝安貞吉。(うったえをよくせず。かえりてめいにつき。かえてていにやすんずればきち。)

「渝」は変わること。「訴えに勝てない。帰って主人の命令に従う。心を入れ替えて貞正に安んずれば吉」。自分の原点、自分の本来の仕 事に立ち返るべき時です。目上の人に従いましょう。

 

●五9:あなたの祈りは幸福な結末を招くだろう。

訟元吉。(うったえげんきち。)

「訴えて勝ち、大いに吉」。実力も備わり、正義のために堂々と戦って勝利を収める時です。この機会に決着をつけること。

◎天水訟の中では良い時です。

 

●上9:あらゆる悪は、ねたみや争いのあるところから生まれる。

或錫之〓帯。終朝三褫之。(あるいはこれにはんたいをたまう。しゅうちょうにみたびこれをうばわる。)

「〓帯」は礼服。「終朝」は午前中のこと。「王より礼服を授けられたが、朝のまつりごとが終わるまで三度もこれを取り上げられてし まった」。労して功無しの時です。天意に逆らって策略を駆使し、一時的に訴えに勝った姿です。しかし、結局信用も 人望も失い、空しさだけが残ることでしょう。

◎あなたの考え方、進み方に問題点があります。よく反省し、改めましょう。

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「マーフィの易い」J.マーフィ(昭和61年、産能大学出版部)及び以下を参照しています。

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