蒙亨。匪我求童蒙。童蒙求我。初筮告。再三涜。涜則不告。利貞。(もうはとおる。われどうもうをもとむるにあらず。どうもうわれをもとむ。しょぜいはつぐ。さいさんすればみだる。みだるればすなわちつげず。ていによろし。)
「蒙」とは、木をおおいつくしてしまうつる草のことで、文字どおり朦朧としていること。「山水蒙の時、通じる。教える側が生徒を求め るのではなく、生徒が先生を求めて教えを乞うのが本来の教育の姿である。第一回目の初筮は正しい答えを告げるが、何度も何度も占うと、疑う心によって天が 正しい答えを告げない。貞正であればよい」。山水蒙の時は、先が朦朧として見通せず、あたかも将来が未知数の子どもの状態です。したがって、この卦は教育 の卦ともいわれます。ここでは、学ぶ側の意欲に基づく自主性と謙虚さが教育の原点であり、易の精神と共通するものであることが述べられております。山水蒙 の時には、未熟な自分を啓発するよう、良き指導者を求めて、学問や稽古ごとに励んで教養を高めることです。童心に帰るべし。
〔大意〕蒙(もう)は無知蒙昧の蒙。若い者の未成熟をあらわしています。同時に若さはさまざまな可能性をはらんでいる。大切なのは、自己の未成熟を自覚し、謙虚に努力することである。
また年代を経た知恵、 年長者、 指導的立場にある人間には、 敬意の念をもって接することも忘れてはいけません。
何より璽要なのは、精神的価値について学ぶことで、情報や知識だけに偏らない賢明さが望まれます。自分ばかりでなく、身近な人が未成熟の場合もある。さらに進路決定に関する悩みといったものもある。
これらの難題を解決するには、自己の内部にある偉大な力の存在に気がつくことからはじめなければなりません。
「あらゆる進歩のためには、謙虚に学ばなければならない。われわれが学ぶのは、教師に教え方を学ば せるためではない」とマーフィー博士は言います。また「真の教育とは、人間は神とともに楽しむために生まれたきたことを自覚し、われわれの中に存在する無限の財宝を発見する方法論を知ることである」ともいっています。
成熟のためには学ぶことが必要ですが、その学んだことが不安や心配、恐怖心を増大させたり、他人を不幸にしたりするのでは何にもならない。人間が成熟するとは、知識よりも知恵の働ぎを高めることなのです。あなたの若いとぎにあなたの創造主を覚えよ」という聖書に書かれた言葉は、東洋で生まれた不滅の知恵の書である『易経』と期せずして一致しています。現代の学歴社会は知恵よりも知識を、内面よりも外面を重視している。現代の混迷した社会情況は、社会全体が「未成熟の愚かさ」の証明です。本当の成熟、人間的成長をこそわれわれは目指すべきだといえましょう。
●初6:しつけを欠いた愛はない。愛を欠いたしつけはあってはならない。
発蒙。利用刑人。用説桎梏。以往吝。(もうをはっす。もってひとをけいするによろし。もってしっこくをとく。もってゆけばりん。)
「刑」は刑罰、「桎梏」は手かせ足かせのこと。「無智蒙昧の者がいる。刑罰を用いるぐらいに厳しい態度が良い。わかれば手かせ足かせ を外してやる。いきすぎた仕打ちは良くない」。物事の始めに当たっては厳しい態度で臨むべきですが、限度は知っておくことです。
●二9:寛容であれ。人をさばけば自分もさばかれる。
包蒙吉。納婦吉。子克家。(もうをいるきち。ふをいるきち。こいえをよくす。)
「包」は包容すること。「道理のわからない者を包容し、妻を迎えて吉。子がよく家を治める」。良き指導者の態度です。縁談のある人は 乗ってみるべし。
◎山水蒙の中では良い時です。
●三6:すべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
勿用取女。見金夫不有躬。无攸利。(じょをとるにもちうるなかれ。きんぷをみてみをゆうせず。よろしきところなし。)
「その女を妻に迎えてはならない。金持ちの男とみれば近づいて、身持ちが悪い。良いことはない」。文字通り、縁談は避ける時です。金 持ちの男を目当てとするような打算的な行動では、良い事はないでしょう。金銭のトラブルに巻き込まれないよう心すること です。
◎あなたの考え方、進み方に問題点があります。よく反省し、改めましょう。
●四6:ビジョンのないとき人はほろびる。
困蒙吝。(もうにくるしむりん。)
「無知蒙昧の愚かしさに苦しんでもどうしようもない」。あなたが孤立無援なのは、人の忠告もろくに聞かないからです。人からわからず 屋といわれないよう頑固な考え方を改め、教養を高めることです。
◎あなたの考え方、進み方に問題点があります。よく反省し、改めましょう。
●五6:あなたは自分の成長と進歩を信じる必要がある。
童蒙吉。(どうもうきち。)
「学ばんとする童子のように素直で謙虚である。吉」。何事も学び取ろうとする素直な態度があなたをぐんと成長させます。先輩の意見を 素直な態度で乞うこと。
◎山水蒙の中では良い時です。
●上9:許すことと大目に見ることは同じではない。罰も必要である。
撃蒙。不利為寇。利禦寇。(もうをうつ。あだをなすによろしからず。あだをふせぐによろし。)
「寇」は敵、賊のこと。「思い上がった無知の者を厳しく指導する。この者が他人に対して迷惑とならないように、また、この者が他人の 憎しみを買わないようにするのが良い」。敵をつくらぬよう、言動に注意する時です。今は守りの姿勢で過ごすこと。
「マーフィの易い」J.マーフィ(昭和61年、産能大学出版部)及び以下を参照しています。