◎二 人間のオスと「性欲の幻想」 ◎『武田邦彦の科学的人生論』飯塚書店刊より

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二 人間のオスと「性欲の幻想」

 この地上に「ヒト」という動物が出現したのは500万〜600万年前と言われているが、そこでオスとメスの関係は大きく変化した。
 生物の行動はDNAで決まる。親からもらった遺伝子が働いて身体をつくり、行動パターンを決め、本能的な活動をさせる。子孫を残すための生殖活動もDNAが指令する。「あの女性は魅力的だ」と思うのも、DNAがそう思わせるのである。
 ところが人間は脳が発達して、DNAの情報より1000倍も多い情報が脳にある。そして脳は「考える」。DNAの情報は生まれたときからほとんど書き換わらないから、親が「あなたは男」「あの人は敵」とDNAで伝えれば、その通りになる。しかし脳は書き換えができるので、体は男でも心は女であったり、親切にしてもらえば、もともと敵だった者が味方になったりする。それが脳という情報装置のよいところでもあり、悪いところでもある。

 人間のオスが「性欲」というものを失ったのがいつなのか、いろいろな研究がされている。
 まだはっきりした時期はわからないようだが、いずれにしても人間のオスは脳の発達によって性欲を失い、おそらくそれと同時に発情期も失った。
 オスの性欲は、自分の遺伝子を子孫に残そうという本能から来ているから、それが頭の指令で抑えられたのである。驚いたのは女で、男に性欲がなければ、女は子どもを産むことができない。そして、男の性欲がなくなったのが「頭の幻想」であるなら、女はふたたび男の頭に「あなたには性欲がある」という「幻想」を作り出さなければならない。そうしなければ、人類は子孫を残せずに絶滅する。
 かくして女性は身体を隠し、化粧をし、男性に性欲の幻想を持たせることによって、人類は絶滅の危機を脱したとされる。

 この話は、若い男性、つまり私が接する学生には、とんと人気がない。学生はみんな自分に性欲があると思い込んでいるので、そんなのは違うと思っている。しかし心理学などではかなり有力な説で、人間のさまざまな行動パターンや心の動きで解明されているところもある。
 ここでは、これまでの人類学や心理学の成果を素直に理解し、自分自身の性の叫びに判断を委ねないで、「人間のオスには性欲がない。だから着飾らないし、発情期もない」ということにしたい。
 わたしたちが女性のことで悩むのは、幻想なのである。「可愛い」と思うのも幻想だという。
 それが女性の作戦で、性欲のない男性を振り向かせる重要な手段だという。だから「化粧品産業」は膨大な売上高を保っている。もし何のドライビング・フォース(根本的な因子)もなければ、あれほど化粧品会社が繁栄するはずもない。

 また男性は、「結婚」に強い意欲を示す女性に、ときどき戸惑うことがある。人間の男の性欲は幻想として作られたものだから、性的な活動をするにも一瞬でよく、結婚とその生活のような長い間はもたない。第一、本当の欲ではないので、満足感がない。
 おいしい物を食べると、食べた後に満足感がある。ぐっすり眠ると、起きたときに爽快だ。このように、食欲や睡眠欲など、人間に本来備わった欲望が満たされると、人間は快感を覚える。
 でも、性欲は一瞬で、しかも後味が悪い。もし本来するべきことなら満足感があるはずなのに、かえって罪悪感に苛まれる。それだけでも、性欲が幻想であることに気づく。
 かつて西洋には騎士道があり、愛する淑女のために身を投げ出すことを信条とする生き方が尊ばれた。幻想の上に幻想を重ねて、そこに解決策を見いだしている一つの例である。

『武田邦彦の科学的人生論』飯塚書店刊より R081102

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