◎ いくらやっても正解に到達しない ◎
次のように考えてみよう。いまから2500年前、ギリシャのアテネにソクラテスという、飛び抜けて頭の切れる哲学者が現れた。そのころのアテネは繁栄していて力も強かったので、「市民」と呼ばれる特権階級は生きるために畑を耕したり、家畜を殺したりはしなくてよかった。毎日、昼になると外に出てみんなで話し合ったり、食べ物を食べたりして楽しんでいた。つまり市民は有閑貴族だったのである。
そんな生活だったから「いったい人生とはなんだろう?」ということを考えるのが流行になり、ソクラテス、プラトン、そしてアリストテレスといった後世で「哲学者」と呼ばれる人たちを生んだのである。ソクラテスが述べたことを書いた本を読むと、この人が素晴らしい頭の持ち主だったことがよくわかる。最後は裁判で死刑になるが、最後の最後まで清廉潔白、哲学者としての威厳をもって死に臨んだ。
アリストテレスもずば抜けた人で、いま読んでもアリストテレスの著作は面白いし、価値がある。でも、それから2000年、人類はずっと「いったい人生とはなんだろう?」と考え、頭を巡らした。近代になってもカントやヘーゲルという偉大な哲学者が出て、それは20世紀でも変わらない。
もしソクラテスの言ったことが正しければ、人生は既に解明されているのだから哲学という学問はなくなるはずである。でもソクラテスから2000年以上経ってもまだ哲学者がいるということは、ソクラテスが答えを間違い、プラトンもアリストテレスも、カントもヘーゲルも間違っているからに他ならない。
このことは哲学でも科学でも同じで、いくらやっても正解に到達しないので、永遠に努力をしている。「少しずつ進歩をしている」という言い訳も怪しげで本当に進歩しているかもはっきりとはわからない。
人間の頭で考えることは、一つの「問い」に対して―つの「答え」を出すが、その答えにまた問いが続く。なぜなら、最初の答えが間違っているので、それに対する答えがあらためて必要になるのである。
『武田邦彦の科学的人生論』飯塚書店刊より R081022
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