◎ 「昨日は晴れ、今日も朝(あした)」 ◎『武田邦彦の科学的人生論』飯塚書店刊より

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◎ 「昨日は晴れ、今日も朝(あした)」 

少し前まで私は色紙にサインを頼まれると、「昨日は晴れ、今日も朝」と書いていた。
最近では「今日も朝」しか書かないことも多くなった。
人間には辛い過去というものが付き物だ。よほどの人でない限り、誰しも過去に辛いこと、思い出したくないこと、ヘマをしたことがある。それがふとしたはずみにその記憶が蘇ってきてうなされる。
私も小さい頃、体が弱いくせに気が強く、ヘマばっかりしていた。思い返す度にひとり赤面し、大声を出したくなった。それで人生がイヤになることがあった。
でも、いまの私はそうではない。「昨日は晴れ」と信じ込んでいる。つまり昨日が嵐であっても、豪雨であっても、寒さで凍えそうになっていたとしても、次の日には「昨日は晴れだった」と思うことにしている。
大爆発によって宇宙が誕生して以来、時間は先に進むけれどそれ以前には戻らない。これは確かなことで、昨日は「在る」ように感じるが、すでに「無い」ものなのである。だから、昨日は自分の記憶の中に残っているだけである。だから「嵐」と思えば嵐、「晴れ」とすれば晴れなのである。それなら「昨日は晴れ」と思おうと私は考える。
大学受験に失敗したことも忘れてしまう、彼女と別れたこと、お金を失くしたこと、大失敗したこと……すべては教訓だけを残して記憶から捨て去ってしまう。そのコツは「昨日はもう返ってこない」ということを実感すること。
そして、「今日も朝」である。
「時」の性格上、「過去」は存在しても「未来」が来るかどうかはわからない。もしかすると昨夜、ベッドについたのがこの宇宙の終わりの時かも知れないのだ。
物理学者はまだ数10億年はあると計算しているが、それは単なる計算で未来は作り続けられているもの。つまり未来は来るかどうかわからないものでもある。
まして人間は宇宙に未来があっても、今日で終わりになるかも知れない。この二つのことを考えると、朝、目覚めることができたというのは僥倖(ぎょうこう)でもある。だから、朝起きたとき「ああ、今日も朝が来たな。さあ、今日一日、楽しくやるぞ!」と決意するのである。
人には自分でできることと、向こうから来るものがある。自分でできることの典型が「今日一日を過ごす」ということで、向こうから来るものの典型は「死ぬ」ということだ。
私たちはこの間でもがいているように思える。
昨日は晴れていて、今日に朝があれば、それで充分。そして長期的な目標に到達するのは難しいのだが、今日一日、生きることぐらいは何とかできそうな気がする。

『武田邦彦の科学的人生論』飯塚書店刊より R081017

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おてんとうさまの下で
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#牧正人史 #マシレ予測 #武田邦彦 ♯yymm77

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