◎ コッコツ貯めたお金で遊んでも楽しくない理由 ◎
倹約してやっと貯めたお金が手元にある。思いがけなく小金が手に入った。
そのお金で人生のささやかな幸福を味わうことができれば……と願う。でも、お金の使い方というのはけっこう難しい。それにはゲルマンの人の話が参考になる。
「ゲルマン」という文化はある時、ヨーロッパの北の方に誕生した―つの文化である。気候は寒冷だが森林に恵まれ、土地からとれる作物と森や河の動物を恵みとして生活した人たちの素朴で男性的な文化だ。時代は中世ヨーロッパだから今から500年ほど前と考えればおおよそ間違いではないが、その印象は日本で言えば縄文時代のようである。
ゲルマンの大地に広がる大きな麦畑を持った地主と、そこで働く10人ほどの小作農夫がいた。農夫たちは毎日、丸太で作られたこじんまりとした家で妻が作ってくれた温かいスープをすすり、それからやおら立ち上がって動物の毛皮の上着をはおり、鎌を抱えて家を出るのだった。
この時期の仕事は麦刈りである。いまの時間で言えば朝の9時頃から刈り取りを始め、おおよそ2時頃には終わる。途中、短い休憩とちょっとした干し肉をかじるほかには特に休みもとらない。相棒との朝の挨拶、短い休憩の時に交わす言葉、そして仕事が終わって傾いてきた日の光の中を仲間と帰る道……た母日、毎日、同じように進み、そして時が流れ、冬になる。
そんなある日、地主が「新しい鎌」をもって農夫の前に現れて、言った。
「お前たち、南から来る行商人が新しい鎌を持ってきた。いま使っている鎌よりずっと固い刃でできているし、切れ味も鋭い。だから麦を刈るのもずいぶん楽だ。それに、刃も長いから一度に刈る麦の景も多い。仕事は楽になるし、時間も短くてすむ。今日から、この鎌を貸し与えるから、これでやってくれ」
地主はその鎌を農夫に配りながら、昨日まで9時から2時まで麦を刈って3マルクだったが、新しい鎌を使えば刈る量が増えるから4マルクにしてやる、と得意げに言った。それを聞いた農夫たちはあまりうれしそうな顔をしない。いぶかる地主。地主にしてみれば今まで3マルクしか農夫たちに与えられなかったのに、新しい鎌を仕入れて4マルクになるのだから、大いに喜んでくれると疑いもしなかったのだ。
しばらくして、農夫の一人が、
「旦那さん、―つ相談があるんだが……」
「何だ、言ってみろ」
地主に促されて農夫は重たい口を開いた。
「旦那さん、わっしらは3マルクで結構だで、その分、早く帰らせてはもらえんだろうか?」
地主は驚き落胆した。農夫の稼ぎは3マルクから4マルクになるし、自分は収穫がそれだけ多くなるのでお金儲けができる。何の問題もないと思っていたら、意外な答えが返ってきた。バカな農夫だ、と苛立った地主は、
「3マルクより4マルクの方が多いのだぞ。それだけ生活が楽になるのがわからんか?」
「旦那さん、わっしらは毎日、3マルクで十分やっていけるで……」
「ふむ、毎日のことしか考えていないのだな」
地主はそう言うと、この目の前のことしか考えられない農夫たちをどうしたら説得できるか思案をした末に、「そうだ」とばかり勢い込んで言う。
「わかった。お前らは3マルクで生活はできる。それはわかった。だが、4マルクあれば、その差額を貯めておけば時には町に繰り出して遊べるぞ。町には酒もあるし、女もいる。それはそれは楽しいぞ」
農夫たちはそれでも怪評な顔をしている。いつもは酒好きで赤ら顔、そして時には卑猥な話で笑い転げている奴らだ。町に出たら酒もあるし女もいるといえば、納得すると地主は思ったのだった。
「旦那さん、やっぱり止めときます」
農夫は言った。
「あっしらは3マルクで十分でがす。そりや、あっしらもたまには町に遊びに行きたくなるが、それは、えーっと、お殿様からお恵みをいただいた時でがす」
「なんでだ。もし毎日1マルクずつ貯めておれば、お殿様にもらわなくても町に行けるのだぞ」
そこで農夫が放った言葉は極めつけの名言だった。
「へえ、でも貯めたお金では面白く遊べねえんですよ。フイにもらったお金じゃないとダメなんでがす」
私はこの話を読んだとき、ひっくり返るぐらい驚いた。
そして自分の人生がまったく間違っていて見当はずれだったことを悟った。確かに「貯金したお金」というのは、使うときにそのお金を貯めるときの苦労が思い出される。だからそのお金で行く旅行の景色は曇り、お酒も美味くない。人間は毎日の生活ができる程度の賃金をもらい、そしてたまにいただくお恵みで遊ぶのが一番幸せなんだ。
そういえば私もそうだ。私の脳裏にこれまでお金を勘定しながら遊んだ時の光景が浮かんでは消えていった。
お金というのは奇妙なものである。少ないと困る。多いとまた困る。お金があったからといって幸福になるわけでもなく、だからといって足りないと辛い。
『武田邦彦の科学的人生論』飯塚書店刊より R081004

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