◎ 愛情が疲れをとる ◎『武田邦彦の科学的人生論』飯塚書店刊より

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◎ 愛情が疲れをとる ◎

不思議なことがある。それは、席を上司に譲ると言っている時のサラリーマンの顔つきや姿勢だ。あれほど疲れ切り、激務に耐えているのに、その様子は微塵もないのだ。早朝のゆがんだ顔、曲がった背中はどうしたのだろうか?彼は精悍な顔をして、背筋はピンと立っている。凛々しい青年の姿に変わっている。
彼が「疲れて」いると感じるのは「疲れて」いると思っているから「疲れて」いるのであり、本当は「疲れて」いない。睡眠不足と一緒だ。昼の活動でたまった血中の老廃物は4時間半の睡眠で解消する。どんなに精密に血液成分を測定しても、もう血中には老廃物は蓄積していない。つまり「睡眠を取る」ということが「疲れを取る」「血中にたまった老廃物をかたづける」という意味なら、4時間半眠れば爽やかである。
でも睡眠不足をすると一日中、ボーッとしている。それは身体が疲れているのではなく「昨夜は睡眠不足だった」という意識が疲れさせる。疲れは肉体的なものではなく、幻想なのである。
若いお母さんも座る。家庭を持ち、子供を育て、そして働く。一人三役をこなしているのだから疲れもたまるし精神的にもクタクタである。まだ三十を少し過ぎたばかりなのに電車に乗ると、つい空いた座席を目で追う。
朝、私はとある私鉄に乗っていた。2、3の駅を過ぎた頃だろうか、電車の中は比較的空いていて私の斜め後ろの座席が空いていた。立っていた人もいたけれど、まあそれほど座りたくないという雰囲気が漂っていて、誰もその席には座らなかった。
ドアが開いて数人が乗ってきたが、その中に丸い紺の帽子をかぶった可愛い小学校2年生ぐらいの女児を連れたお母さんが乗ってきた。彼女は素早く空いている座席を探し、そそくさとその前に来ると子供の背中を押して座らせた。女児はちょこんと座席に座ると、キョロキョロと辺りを見回していた。
お母さんはすぐ大きな紙袋を開けてその中を見たり、何かを取り出したり忙しくしていた。それを見ながら女児は相変わらず楽しそうに電車の中を見回している。お母さんにはやることがいっぱいある。まだ7時20分なのだからさぞかし朝も早かっただろう。女児の朝ご飯も、そしてひょっとしたらお弁当も作り、子供の持って行くものを揃え、自分もご飯をかきこんでお化粧もしてきただろう。
でもお母さんは元気そうだった。疲れているのだろうが疲れてはいなかった。なぜだろか?
人間は疲れない。疲れるのは心であって身体ではない。体が疲れるように感じるのは何もやらなくてもよいからである。つまり、本質的には人間の体は疲れないのだが、「意味がないことはやりたくない」という思いが「疲れた感じ」となるだけである。
お母さんは女児に愛情がある。子供のためなら何でもやりたい、やりがいがある。だから疲れない。身体は疲れているけれど、それを感じないのではない。本当に子供のことをやっている時には疲れないのである。というより、むしろ疲れがとれると言ってもよい。

『武田邦彦の科学的人生論』飯塚書店刊より R080925

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おてんとうさまの下で
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#牧正人史 #マシレ予測 #武田邦彦 ♯yymm77

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