痛みと、違和感――大谷翔平選手の休養をめぐって(八)

第三稿:出所のない物語(9月8日)/第四稿:まだ、休ませてよい(9月8日)
第五稿:缶を蹴り続けた(9月10日)/第六稿:十五日間(9月18日)
第七稿:百パーセント(9月20日)
大谷選手の体について問われた場面で、監督は言葉を選びながら答えています。その答え方が、私には興味深いものでした。
監督の答えは、こうでした。
プレーできる程度の違和感だ。痛みはないと言っていい。
そして、こう付け加えました。
そして最後に、こう述べています。活動登録されるときには、ここしばらくで最も良い状態になっているはずだ、と。
腕の話かと確認され、腕の話だと答えました。膝については本人は何も言っていない、とも。
言われてみれば、その通りです。私も昨日、右膝のことを書きました。夜に伸ばそうとすると痛む。しかし歩くぶんには痛まない。あれは、痛みと違和感の両方を、同じ膝で経験していたことになります。
ただ、この区別には、ややこしいところがあります。
境目を決めるのは、本人だからです。
どこからが痛みで、どこまでが違和感か。医者が測れるものではありません。本人が「これは痛みではない」と言えば、違和感ということになる。
そして、この連載で繰り返し書いてきた通り、大谷翔平選手は痛いと言わない人です。
膝の炎症を抑える注射を打ちながら打席に立っていたことが、後から報じられました。そのときも、おそらく「痛み」とは言っていなかったでしょう。
私は、そうは思いません。理由が二つあります。
一つは、監督が本人任せにしていないことです。
会見で監督は、詳しいことは本人に聞いてくれ、と言いました。これは突き放しているのではなく、自分が代弁しないという姿勢だと受け取りました。 以前なら、大丈夫だと言い切っていたかもしれません。
もう一つは、言葉の中身です。
百パーセントかと問われて、おそらくそうではない、と答えています。ここで「万全だ」と言わなかった。 一週間前より良い、という言い方にとどめています。
これは、九月のはじめの言い方とは違います。あの頃は、症状は落ち着いた、問題ないという説明でした。
第七稿で、打席勘は打席でしか戻らない、機械では代われない、と書きました。監督も同じ考えのようです。
ただ、残されているのは五試合です。そのうち何試合に出るのか。実戦の感覚と、体の安全と。この二つの折り合いを、あと数日でつけることになります。
タッカー選手。 この日の欠場は予定されたものではなく、ファウルボールを膝に当てたためでした。十試合連続出場になるところだったので、二日休ませ、そのあと最後の六試合に連続で出す、という考えです。
ここでも、先回りが働いています。当たった翌日に休ませる。第五稿で書いた「缶を蹴るのをやめる」が、他の選手にも及んでいます。
フリーマン選手。 思うような打撃ができず、本人も苛立っていると監督は認めました。そのうえで、こう述べています。彼が自分で解決するのを信じて、賭けるしかない、と。
そして、一週間の休みが得られればそれも大きい、とも。
ディアス投手。 今年でいちばん良い場所にいる、精神的にも肉体的にも球の出方も良い、と監督は語りました。あの気迫が戻ってきている、と。
ポストシーズンで抑えとして使うために、シーズン中に同じ場面を経験させる必要はあるかと問われると、必要ないと答えました。彼は以前から抑えをやってきた、あと二、三度の登板があれば十分だ、と。
フリーマン選手の話でも、チームの方針の話でも。
地区優勝した球団には、プレーオフの一回戦が免除され、一週間ほど間が空きます。それを確保するまでは毎試合勝ちにいく。確保できれば、休ませるべき選手を休ませる。そういう順序で考えている、と監督は言いました。
この考え方は、第五稿で書いたことと同じです。休養は与えるものではなく、勝って得る権利である。
そして今、その権利がもうすぐ手に入るところまで来ています。
監督のこの言葉を、私は二通りに受け取りました。
一つは、その通りだという受け取り方です。全部が痛みではありません。生きていれば、どこかしら違和感はあるものです。七十三にもなれば、なおさらです。
もう一つは、警戒です。この区別は、いくらでも動かせます。 痛いと言いたくない人にとって、違和感という言葉ほど便利なものはありません。
どちらに転ぶかは、周りが見ているかどうかで決まるのだと思います。
今回は、見ている人がいるようです。監督は自分で断定せず、本人に聞いてくれと言いました。打撃コーチは、離脱前より不安なく振れていると証言しました。複数の目が、別々の角度から見ている。
九月のはじめには、それがなかったように思います。
十月に、あの本来のスイングを見せていただきたい。八回とも、願いは同じです。


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