第五章・いのちの時代 連載第百十五話 お茶とうつわ

その施設を、実際に、切り盛りしていたのは、女性だった。
創始者の、男性は、婿として、入った方だった。けれど、ものごとの、芯を、握っていたのは、もともとの、家の、女性のほうだった。考え方が、しっかりしていた。筋が、通っていた。その、確かな、まなざしが、施設の、隅々にまで、行き届いていた。
とりわけ——食に、力を、入れていた。
器は、すべて、陶器だった。安い、プラスチックではない。手に、なじむ、温かい、焼き物。お年寄りが、毎日、口を、つける、その器に、心が、込められていた。
お茶も、そうだった。静岡の、生産者から、直送の、良い茶葉を、真空パックで、キロ単位で、仕入れていた。それを、惜しみなく、使う。入れ方も、豪快だった。大きな、茶こしで、二リットルの、容器に、一気に、二本、三本と、作る。それを、給水の、時間に、配って、回るのだ。寝たきりの、お年寄りにも、香りの、立つ、本物の、お茶が、届いた。
けれど——食の、本当の、苦労は、厨房に、あった。
特養には、様々な、体の、人がいる。普通に、噛んで、飲み込める人。きざんだ、ものなら、食べられる人。どろどろに、した、ものでなければ、喉を、通らない人。そして——口からは、もう、食べられず、管で、栄養を、入れる人。食事の、形態は、人によって、十段階ほども、あった。
その、一つひとつで、おいしさを、追い求める。これは、並大抵の、ことではない。きざんでも、すりつぶしても、味と、香りを、損なわない。見た目にも、食欲を、そそる。寝たきりの、人にも、おいしいと、感じてもらう。それには、膨大な、研究と、工夫が、要った。厨房の、人たちは、その難題に、毎日、挑んでいた。
朝は、粥が、メインだった。やわらかく、炊いた、粥。そこに、自家製の、ヨーグルトが、添えられる。腸の、働きを、整える。お年寄りの、体の、内側から、健やかさを、保とうとする、工夫だった。一つひとつが、考え抜かれていた。
なぜ、ここまで、するのか。
答えは、はっきりしていた。寝たきりに、なった人にとって——食べることは、ほぼ、唯一の、楽しみだからだ。体は、動かない。外へも、出られない。できることが、一つ、また一つと、減っていく。その中で、最後まで、残る、楽しみ。それが、食事だった。だから、この施設は、その一点に、力を、注いだ。食べる、よろこびだけは、最後まで、奪わない。それが、ここの、誇りだった。
四十年後の今、振り返って、思う。
陶器の、器。静岡の、お茶。粥と、自家製の、ヨーグルト。十段階の、食態の、それぞれに、込められた、工夫。あれは、ただの、食事では、なかった。生きることの、最後の、よろこびを、守ろうとする、心だった。介護とは、過酷なだけの、現場では、なかった。そこには、人の、尊厳を、こんなにも、大切にする、温かさが、あった。彼は、その施設で、それを、学んだ。良い、場所だった。今でも、そう、思う。
生かされて、今を、存在する。
陶器の器と、静岡直送のお茶と、十段階の食態それぞれにおいしさを追い求めた厨房の苦労と、食べるよろこびを最後まで守ろうとした、あの施設の心を、四十年後の今、自分は、確かに、覚えている。
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