寝たきり、座りっぱなしの場合、体中のカルシウムは尿に溶け出す、それがたった一日でも、、、

この理由は次のように推定されます。
寝てばかりいる兵士は、足の骨に負担がかからないので体が「カルシウムはいらないのだな」と思って、尿から体の外にカルシウムを出してしまうのだと考えられます。これに対して一日、三時間以上立っている人の場合は足の骨や背骨に負担がかかるので、体が「カルシウムが必要だ」と思い、カルシウムの流出を防ごうとしているのです。通常の食事をとっている場合でも、カルシウムが尿のなかに含まれて流出するのですが、それなら骨は傷みません。人間は活発に活動をしているので、毎日、ある程度のカルシウムを損失し、それを補給しつつ生きているのです。
「補給しながら排泄する」というのは生きている証(あかし)であり、ほかの栄養分と同じです。ところが寝てばかりいると毎日二〇〇ミリグラムもカルシウムが逃げてその分、骨が細くなっているのです。
ゾッとする結果ですが、この実験はさらに興味ある結果を出しています。
博士は「寝る」「座る」「立つ」の三つの姿勢について調べていますが、「座る」という姿勢は「寝る」場合とほとんど同じ結果が得られています。つまり、一日中、座っている人の尿中のカルシウム濃度は一日中寝ている兵士とほとんど同じだったのです。おそらく、「座る」という姿勢では脚の骨には負担がかからないので、わたしたちの体は寝ているときと同じように「骨はあまりいらないのだな」と思うのでしょう。
さらに、左図下に示したように人間は一日三時間以上立っていると、体が「骨が必要だ」と思うのですが、一日でも寝てばかりいると「もう骨はいらない」と判断することが判ります。人生八〇年も生きるのですから、もう少しゅっくり判断してほしいのですが、現実にはたった一日で決めてしまうのです。
いつも運動することに心がけている人でも日曜日にはなかなか布団からでられず、やっと昼頃起きだしてきても、結局、一日中、ソフアに座ってテレビを見ていたという経験があるでしょう。今週はずいぶん働いたし運動したのだから日曜ぐらいゆっくりしようかという気分ですが、そうすると日曜日の晩にもなると、尿中のカルシウム濃度は少しずつ上がってくることになります。
週休二日になって土曜日から休み、月曜日に勤務に出ても、その日は会議、次の火曜日も書類作りに忙しくて一日パソコンを打っていたということになると、火曜日にはかなりのカルシウムを損失していることでしょう。
人間の体は「即断即決」なのです。
宇宙飛行士のときには体は変わらないという例を示し、ここでは体は毎日変わるという例を示しました。一見、矛盾したように見えますが、決して矛盾してはいません。人間の体は変わりませんし、体にとって、何が良いことか、何が悪いことかということも人間の一生の時間のような短い時間では変わらないのです。
一方、人間の体は「変わらないものを保っための努力」を求めます。そしてその努力を怠るとたちまち、人間のこれまでの経験でDNAのなかに書き込まれたものが崩壊するということなのです。それは毎日、栄養のバランスを取って食事をしなければならないとか、毎日適度な運動が必要だといったことと同じです。
つまり、人間の体は次のように考えられるのでしょう。
太古の昔、約一万年前までの人間の経験が現在のわたしたちの体と感覚、感情を作り上げていること、それに反する生活や行動はわたしたちを不安にし、不快にすること、そして、毎日の生活は約一万年前までの人間の生活を取り入れないと、崩壊してしまう。
そこで、もう一度、バークヘッド博士の実験結果を整理しますと、

① 一日三時間以上立っていればカルシウムが体外に出る贔は少ない、
② 寝ていたら骨のカルシウムは体から流れ出る、
③ 立っている時間が三時間以内なら立っている時間に応じて流れ出る、そして
④ カルシウムの損失いう点から見ると「座る」のと「寝る」のは同じ、

ということです。
これが一万年前にできたわたしたちの体が要求していることでもあり、その当時の生活のパターンでもありました。

『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊)
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