● 故意の誤報と間接的な殺人

筆者は材料を燃えにくくする研究会の主査をしていた。その時のことだった。京都の方の大学の先生が「材料を燃えにくくするために加えるハロゲン化合物からダイオキシンができる」との研究発表をして、それを新聞が取りあげた。
この時、新聞記者の質問に私は次のように答えた。
「発表された化合物からできるダイオキシンは自然界で直ちに分解される。だから環境は汚さない。もしこのことで新聞が騒ぎ、材料が燃えやすいものに置き換えられたら、年間およそ 200人が新たに火災で犠牲になるだろう。その分は新聞に責任を取って貰いたい」
私のコメントが功を奏したのか、あるいは同じようなことを言った人訊也にいたのか、結果的にはこのハロゲン化合物の報道は控えられた。
社会で有用に使われているものに濡れ衣をかぶせて追放する、そしてそれによって犠牲になる人たちがいても無視するということがまかり通っていいはずがない。
特に火災で亡くなる人は幼児と老人が多い。しかし、彼らは言葉が話せないか、あるいは発言権が小さい。いわば社会的な弱者である。社会的にもっとも強い発言権のある新聞やテレビが一面的な報道をして、それがもとで火災が増え、発言権のない幼児や老人が死んでいく。
日本が正しい知識を持ち、科学的に判断し、塩ビが環境を汚すどころか、多くの人の命を救っていることを認識すれば、火‘災の犠牲になる人は半減するだろう。
火災で焼け死ぬのは辛い。それ自身が無惨であるし、第一、火災のような事故で一生を終える人の無念を考えてほしい。しかし、現代の日本では故意の誤報と環境にやさしいことを標榜する企業の活動で火災の発生率が増加しているのである。
塩ビを使わず、ハロゲン化合物の使用を避ける企業は間接的な殺人をしているようなものである。

『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』武田邦彦 洋泉社刊 2007年
20230917  188