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江戸城無血開城に見る「摩擦係数」

いままで見てきたことをまとめますと、3つのことが見えてきます。

①人類は長く戦争を「正しいこと」としていた。
②生物は常に暴力が正義である。
③正しいとされる行動の裏側に、単にメンツ(H本の戦争)とかアメリカの膨張(慣性の法則)のようなものがあり、実体は貧弱かもしれない。

つまり、これまで利己的正しさ、利他的正しさなどと大上段に振りかざしてきたのですが、実はもっと単純で「物理的な法則に基づいた正しさ」が、この世のかなりを占めているようなのです。
例えば、江戸幕府の末期に、薩摩藩の西郷隆盛と徳川方の勝海舟が会談し、江戸城の無血開城で合意した話は、とても有名です。かつて戦争が正義(力が正義) と思われていた時代、ケリをつけるのはいつも戦争でした。なにしろ「力」こそが、正義の表現ですから、戦争をしなければ「誰が正義か」がわからなかったのです。これをキリスト教的に表現すれば「神は正しいほうに勝利の女神を遣わす」となります。
つまり、物事の勝敗は人間が決めるのではなく神が決めるのです。しかし戦うときに全力を尽くさないと神は見向いてもくれないので、全力は尽くしますが、最終的な勝敗は神が決める、という実に都合の良い理屈を「神ではなく人」が決めていたのです。
ところが、西郷と勝は、「戦わないで正義を決める」ということをしました。
「もう、時代が変わったから徳川将軍には引いてもらい、明治天皇に代わってもらおう」という理屈を「正しい」としたのです。しかも、驚くべきことに激高する薩長軍は神奈川県に控え、一方の徳川方も整然と江戸城から退出したのですから、これはまさに歴史的事件なのです。
暴力でなくても「正しさ」を決められるという希有の事実です。西郷・勝会談はいったい、何だったのでしょうか?
徳川家康は、

① 戦争に勝つ、
② 他藩を力で押さえつける、
③ 幕藩体制を築く、
④ 参勤交代をさせる、
⑤ ミスをするとお家を取りつぶす、

などの行動を通して「徳川時代」を作ります。そのエネルギーは、「徳川家康の力」と、「長く続いた戦国時代を終わらせたいという多くの人の気持ち」、それに「封建主義時代」という時代の流れの3つだったと考えられます。
それらが、慣性の法則に従って動き始めます。でも徳川家康のご威光は、時代が過ぎるにつれて現実と離れ、その間に「摩擦係数」があるので徐々に減衰していきます。さらに長く続いた戦国時代の代わりに「長く続く平和な時代」になり、ついに幕末には世界の「絶対主義、帝国主義国家」が開国を迫るようになります。
つまり、江戸幕府を開いて、参勤交代や「殿、刃傷」などと言うことが、人の心と幕府体制の間の「摩擦」が激しくなり、それによって少しずつ「正しいこと」が減衰し、それが260年も経つと、「いくら何でも古いんじゃないの」ということになり、それがあまりに明らかだったので「無血開城」になったと考えられます。
この「慣性の法則」と「摩擦力による慣性の減衰」は、私の試算によれば、およそ「1年に2%の変化」をもたらすようです。
これを計算しますと、江戸幕府を開いたときの「正しさの慣性力」は100年で13%に減衰していることになります。そして西郷.勝会談が行なわれたときには、260年も経っているので、0.5%、つまり徳川家康が幕府を開いたときの力はすでに200分の1になっていたということになります。
たしかに、どんな政府でもできて50年ぐらい経つと老化してきます。徳川幕府ができて50年目というと4代将軍の家綱の時代になり、「武断政治」から「文治政治」に変わります。50年経つと、幕府が開かれたときの慣性力は3分の1になっていますから、もう「武断政治」というわけにもいかなくなってくるのです。
人は「これが正しい、これは間違っている」ということを「いままでそうしていたから」とか「子どもの頃に親から正しいと習ったから」ということで判断をすることが多いのですが、それが「慣性的正しさ」です。つまり徳川幕府ができたときには「家康さまは神君だ」と言えば、みんなが「ははーっ」と恐れをなしたのですが、それは年率2%ずつ減ってきますので、正しさがそれだけ変わってくることを意味しています。
日常的な小さな立ち居振る舞いから、政権が腐敗したり転覆したりする大きなことまで、人の心にある「慣性の法則」が大きな役割を果たします。
「利己的な正しさ」、「利他的な正しさ」の他に、この世が物質でできていることから来る「慣性の正しさ」があり、私たちが日常的に使う正しさは、この慣性の正しさが多く、したがって、その人が経験した時代、年齢などによって正しさが変わるということがわかります。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より

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