ゴミの分別には別の矛盾があります。それは「薄ものは使えない」という分離工学の原理からくるものです。
それは分別すると一つ一つのものはその量が少なくなることです。分別前には一台のトラックが満杯にゴミを積んで運ぶことができたところでも、分別が始まると少しずつ分別したものを積んでいかなければなりません。また、ゴミの焼却炉だけなら人ロ一五万人程度の市町村でも置くことができますが、製鉄工場、アルミ工場、銅の精錬工場、ガラス製造工場、プラスチック・リサイクル工場、ゴムの工場、繊維工場などを一つ一つ市町村でつくることはできません。せいせい県、に一つものによっては東日本に一つ、西日本に一つということになります。
また、もともと日本では作っていないものは日本の中に製造工場もありませんし、製造するための技術やノウハウもないので、本気でリサイクルをするのなら外国まで運ばなければなりません。
このように「分別」は分離工学を持ち出すまでもなく「移動距離の増加」を意味していることがわかります。
さらに「工場」というものの特性が加味されます。
ゴミの焼却工場は単にゴミを焼却するだけなので構造が簡単で機器の数が少ないのですが、それでも、受け入れ、焼却、煙の処理、灰の貯蔵、管理棟などで構成されます。これに対してリサイクル工場では受け入れ、選別、選別した残りの貯蔵、処理、除去、除去したものの貯蔵、処理、洗浄、洗浄水の工場内リサイクル、乾燥、乾燥した空気の浄化、工場内輸送、溶解、成形、製造工程で出るゴミの処理、管理棟、販売関係など多くの工程が必要となります。新品の原料が運ばれてくる製造工場はそれでなくても複雑なのに、リサイクル工場は製造設備に加えて、リサイクルの原料を作る設備が必要で、手作業のところも多いので、さらに複雑になる傾向があります。
工場が複雑で機器の数が増えると、それに応じて大きな工場を建てる必要がある。つまり、機器の数が一〇〇個の工場に対して、機器の数が一〇〇〇個になったら、原則的には一〇倍の生産力を持つ工場が必要になります。一つ一つの機器があまりにも小さくなると環境負荷が増えるからです。
焼却工場は要素が単純ですから、小さくても運転できますが、工業製品の工場が小さいことはほとんどありません。ここでは工程の数の比率分だけ大きさに違いがあるとして、リサイクル工場の最低の規模は焼却工場の三倍程度とします。
「分別すると遠くに運ばなければならない」「小さな工場は環境負荷が大きい」という二つの制約から、ゴミとして捨てた場合にトラックが走る距離を一とすると、リサイクルとして捨てた場合のトラックは三〇倍の距離を走ることになるのです。本格的な「循環型社会」が訪れたら、リサイクル物質を運搬するトラックが縦横無尽に走り、ガソリンや軽油を使い、道路を頻繁に補修し、交通渋滞は酷くなり、煤煙は増え、交通事故も増加するでしょう。
本著の最初のところに整理しましたが、もともとリサイクルが不合理な大きな理由の一つが、使ったものを集めるのが大変で膨大な環境負荷をかける、ということでした。リサイクルの最大の欠点をさらに拡大するのが「分別」なのです。
私たちの身の回りのものをザッと見回して下さい。最初に目につくテレビ、冷蔵庫などの比較的大きな家庭電化製品、ノートパソコンや小型の電子電気製品、机やイスなどの家具、プラスチックの引き出し、壁に掛けてある飾りもの、時計、カバンや本棚、そして本、電気コード、コップや紙袋などです。
テレビや冷蔵庫を見ると誰でもそれらがプラスチックや金属、ガラスなどの他種類の材料から複雑にできていることがわかります。それはノートパソコンや小型の電子電気製品などのように小さく精密なものになればなるほど、手に負えないほどの材料が組み合わさっているのがわかります。このように、複雑に材料が組み合わさっていることは決して生活にも環境にも悪いことではありません。物質を少なく使い快適な生活に寄与し、かつ環境に配慮するということは、材料を組み合わせてその特徴を活かして使うことになるからです。
さらに机やイスなどのように一見して木材ばかりで作られているように見えても、釘や取っ手などは鉄が使われています。ほとんどのものが複数の材料です。
読者の身の回りにある時計はどんな材料でできているでしょうか? ありふれた家庭用の時計を考えてみて下さい。時計の箱、針、文字盤、表面のガラス、廻り人形などすべての部品がさまざまな材料で作られています。この時計が古くなり捨てるときになったらどうして分別するのでしょうか?
すべてを分解し部品ごとに分け、分別して細かい金属類とプラスチック、そしてガラスなどに分けたとします。その結果、プラスチックは劣化しているのでリサイクルをしても再び使うことはできません。木材の類もダメです。ガラスは組成が複雑ですので、混合したものは原料になりません。
辛うじて資源となる可能性のあるものは金属類ですが、このように少ない量の金属類を一つ一つ持ち込んでも、かえってエネルギーや物質を消耗してしまいます。そして金属類だけを利用するならもともと分別しないでまとめてゴミとして出し、焼却して金属類として一気に回収した方が利口です。
分別の矛盾は日常的な生活の中だけではありません。テレビのブラウン管にまた登場してもらいますが、ブラウン管はガラス自体が複雑な組成をしていて、三つの部分によって細かく性能との関係が決まっています。そのうえ、プラウン管は「ガラスだけでできている」ということはないのです。ガラスの内面には蛍光体やその他のもの、ブラウン管の機能を発揮する物質が使われているのです。それをどうして分別するのでしょうか?
実際には非常に困難なのです。
かくして、分別の具体的対象となるのはペットボトルやアルミ缶、牛乳パックのような日常的で単一の材料でできているものから始まりました。しかし、それらは別の理由でリサイクルをすると環境を著しく悪化させるのです。
一体苦労して分別する目的は何でしょうか? また、私たちの身の回りの何を分別して、何を回収するのか誰か考えた人がいるのでしょうか?「分別回収をしたほうがよい」といった人は実際に分別をしていないのではないでしょうか?
本当のところは「分ければ分けるほどゴミ」なのです。一番よいのが「分別しないこと」であり、どうしても少し分別したければせいぜい鉄屑などがよいかもしれません。しかし、鉄屑の分別すら疑問があります。
鉄がリサイクルできるほとんど唯一の物質であるのは、その生産量が一億トンと材料の中で群を抜いて多いこと、そして鉄橋やビル、機械類などのように「まとまって」鉄が回収されるからです。しかし、鉄ですら徹底的にリサイクル使用とすると、「銅と一緒の鉄」を回収することになります。鉄の中に銅が入ると鉄の品質が悪くなり使えなくなります。ムリをしなくてもリサイクルできる範囲で屑鉄を回収するのはよいのですが、それより深くリサイクルしようとすると障害が出てきます。これを「リサイクル深度による障害」といいます。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より