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マッカーサーの後悔と吉田茂

マッカーサーは、フィリピンのコレヒドール要塞で開戦を迎えました。コレヒドール島は日本艦艇の無線を解析する要地でしたから、彼は日米開戦にいたる事情には通じていたようです。アメリカ政府が日本を追い詰め、開戦に誘導していく計略については、感想は別にして熟知していました。マッカーサーは戦略空軍機を百数十機、指揮下に有していました。南下する日本軍に 空母不在を知っている彼はミスをしました。台湾やベトナムの基地からでは、日本の飛行機にフィリピンまでの足はないと判断していたようです。結果として、フィリピンのアメリカの航空戦力は瞬時にして壊滅しました。日本がマニラ湾には艦隊を派遣しなかったので、ルーズベルトの命により彼は部下の十万人余の米比軍を残して家族を連れて単身脱出したのです。米比軍は日本の捕虜となりました。これでマッカーサーはルーズベルトの駒となりました。これをなぜ人は言わないのでしょう。「アイシャル リターン」(戻ってくる)という言葉は有名です。そしてマッカーサーはGHQ高司令官として日本に君臨しましたが、ルーズベルトの死(一九四五・昭和二十年四月十二日)やGHQ内部の左翼の跋扈(ばっこ)、そして朝鮮戦争に直面して彼は悔悟の言を残しています。日本人を十二歳だと言ったと評判が悪いけれど、かなり誤解が混じっているようです。
米国上院での証言の中にありますが「ドイツ人は分別のある年齢の人間の悪を犯したが」という文脈の中で「日本人は十二歳 」と言い、言外にルーズベ ルトの奸謀を批判していると読むのは私だけではないと信じます。彼の悔悟を次に書きましょう。

その前に、吉田茂のルーズベルトによく似た姑息な奸智に触れておかねばならないでしょう。南部仏印進駐からの撤退を含めた妥協案の「乙案」は吉田たちの筆になるものですが、これが蹴られハル・ノートの工作を知った吉田茂はマッカーサーの屈折した心情に秘められた「日本にはすまないことをした」という後悔に竿をさし、折からの朝鮮戦争の中にあって日本防衛はアメリカの義務であり、日本は破壊された経済の再建に専念するという戦後体制の骨組みを決めてしまったのです。そして、ワシントンの日本大使館の大きなミスを永久に隠す工作もなしたのです。ワシントン日本大使館のミスこそが、「瞬し討ち」の永遠の汚名と凄惨な戦いになった原因です。原爆投下の正当化にも、その大きなミスが影を落としています。
吉田茂は蓋をして事実を密閉しました。ワシントン日本大使館員で通告遅延の直後の当事者・奥村勝蔵を外務省に呼び戻し、のちに最高の官職たる次官に登用しました。続いてワシントン日本大使館の参事官たりし井口省吾をまた呼び戻し、同じくのちに次官に抜擢したのです。騙し討ちの負い目は巨大です。吉田は昭和天皇とマッカーサーの会見の通訳にも奥村を起用しました。マッカーサー側の通訳があのハーバート・ノイマンです。コミンテルンのエージェントであることがばれて彼はカイロで六年後に「自殺」します。吉田茂は外務省あげて蓋をして密閉しました。朝鮮戦争時にマッカーサーから再軍備を要請された時に、彼は法律によってではなく政令で「警察予備隊」を編成しました。そして吉田は日本国憲法を楯にとり、第九条第二項により「国の交戦権を否認した結果、自衛権の行 使もできない」と今日まで尾を引く解釈体系を立てたのです。
ルーズベルトの対日開戦の奸謀・陰謀を知り、敗軍の将となり果てて日本軍の捕虜になるべきマッカーサーを、部下を捨てて脱出させ、GHQの最高司令官として君臨させたルーズベルトの蓋閉じの知恵を吉田は真似したのでした。そして、吉田茂は「軍備はやらん・経済再建一本でいく・米国は日本を守れ・それが米国の義務だ」と決めました。
「ハワイには知らせるな」や「真空の海」の蓋をした人物の名はすでに出しています。ウォルター・アンダーソン少将です。
海軍大臣山本権兵衛・山本五十六連合艦隊司令長官・吉田茂「大宰相」とは、日本にとってなにものなのでしょうか。明治は偉大だったけれど、昭和はバカになった程度の総括で日本は大丈夫なのでしょうか。永野軍令部総長を大不忠者と書きましたが、支那事変を始めて百万の大軍を出兵させ、対米決裂の尻ぬぐいを海軍がさせられるのはかなわない・ここは陸軍と内大臣、そして近衛元首相が陛下をおし立てて局面の打開をせよが本心だったでしょう。いずれにしても全日本(オールジャパン)不在で大戦争を招き入れたのです。
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)

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