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日本人と真珠湾

言うまでもなく、真珠湾攻撃は日本が発案し実行したものです。日本とは言っても日本の総力をあげた全日本(オールジャバン)の作戦ではありません。信じられませんが、真珠湾攻撃は山本五十六連合艦隊司令長官の私案に近い作戦計画によるものだったのです。海軍軍令部は猛反対でした。ハワイ奇襲など成功の可能性は極度に低く、投機的で危険だというのが軍令部の意見です。山本は連合艦隊司令長官の職を辞すると言い、作戦採用を迫りました。永野修身軍令部総長は「そこまで言うのならやらせてみよう」となったのです。
山本五十六連合艦隊司令長官なるものは、艦隊の司令長官でしかないものです。長年の 研究の蓄積に立ち、全戦局の作戦を企画・立案するのが軍令部です。政略も合わせて国家の作戦計画は全日本の叡知を結集して、国運を担うものとして決定され実行されるものです。水上部隊の司令長官の職責は、任務の全うにあります。日本は海軍も分裂していたのです。
ルーズベルトは何を考えていたのでしょうか。一九四一(昭和十六)年に入ると彼は外交的解決を考えなくなっていました。外交的解決ではなく経済制裁を強め「最悪の事態」「日本の明白な戦争行為」(同書)を促進させることに集中するようになっていました。特に、八月のチャーチルとの洋上会談で「バック・ドアー・ツー・ウォー」(裏口からの参戦)を密約して以来は、マッカラムの「八項目」のエスカレーションの実行に移っていたのです。七月になると日本船舶のパナマ運河通過を禁止し、八月には石油・金属等の全面禁輸に踏み切ります。
ルーズベルトの最大の「敵」は共和党です。三選目の時にルーズベルトの絶対の公約は「不戦」でした。「あなたたちの息子や夫を戦場に送らないことを誓う。重ねて、重ねて、重ねて誓う」と彼は誓って当選していたのです。日本に政治家がいたなら、日本の窮状をアメリカ国民に、「石油の全面禁輸など宣戦布告だ」と訴えるべきでした。現に、ケロッグ元国務長官はブリアン仏外相との協定(不戦条約)締結にあたり、全く同じことを宣言しているのです。このまま禁輸が続けば日本は全身不随となるが、事実上の宣戦布告なら日本は誇りにかけて受けて立つだろう・場所と時間を指定されたい・指定の数の戦艦でも陸兵でも送る・小なりといえども日本も武士の国です・座して全身不随を待っことはありません・そして日本はハル・ノートを公表して、アメリカ国民に訴えるべきでした。アメリカ国民はどのように反応したのでしょうか。
十月二日、首脳会談の道を断たれた時に、これは戦争への謀略だと考えた日本の政治家はいなかった模様です。「ハル・ノート」に接した時に二つのハル・ノートの存在は知らなくても、これは謀略ではと疑うか判断する政治家を、日本は欠いていました。野に涙あれ、です。絶望して近衛内閣は総辞職し、木戸幸一内府が東条英機を首班に上奏します。とりわけ木戸幸一の責任は大きいと私は注記しておきたい。
南部仏印進駐の撤回・撤収、そして三国同盟の解消を栗栖大使が申し出ても、ハル国務長官は聞こえなかったふりを重ねましたが(十一月二十日の頃)、栗栖大使たちはアメリカの意思は戦争だとは感じなかったようです。そして十一月二十六日にハル・ノートを手交されるのですが、先に書いたように東京は米国暗号を解読して、ホワイト筆のハル・ノートに絶望し開戦を決意していました。
チャーチルも蒋介石も知らないハル・ノートが、日本には手交されていたのです。チャーチルや蒋介石が見たのは、ハル国務長官の書いたハル・ノートなのです。これの甘さに彼らは怒り、ルーズベルトはこれを撤回し別のホワイト筆の原則論のみの「強硬な」ハル・ノートを日本のみが見たという奸智の前の日本が哀しい。しかもバレている暗号で東京のアメリカ大使館に打電しているのです。奸謀の巧技に息を呑みます。
開戦前日、自室で暗夜、東条英機は号泣したといいます。昭和天皇の和平の御意思に沿えなかった申し訳のなさに身を裂かれたのでしょう。彼は首相にして内務大臣・陸軍大臣を兼摂し、後には陸軍参謀本部総長も兼摂していました。東条幕府とか独裁者とか悪口には事欠きませんが、これは日本が背負うべき日本分裂の罪なのです。東条英機か内閣総理大臣・陸軍大臣。内務大臣。陸軍参謀本部総長をすべて兼ねるというのは、言葉に他意はないし語弊も承知ですが、漫画が過ぎはしないでしょうか。この首相兼陸軍大臣は、真珠湾攻撃を翌朝のニュースで知ったのです(直前に告げられたという説もありますが、どちらにしても同じです)。ミッドウェーの敗戦については、東条英機は敗北の半年後に知ったのです。
首相東条英機は統帥権の独立により統帥から疎外され、陸軍大臣東条英機は国務大臣の故に同じく作戦から疎外され、陸軍大臣東条英機は真珠湾攻撃をニュースで知るのです。
ルーズベルトの部下は、日本機動部隊の通路の北太平洋を「真空海域」と指定しました。日本艦隊がヒトカップ湾を出航した十一月二十五日(ワシントン時間)の約一時間後に、この指定を行っています(同書・二六五頁)。つまり日本艦隊は発見されないようにアメリカから手厚く保護されながら、奇襲への航海を続けたのです。
日本艦隊は、厳重な無電封鎖をしていたというのは嘘です。同書の第十二章は「無線封止神話の崩壊」であり、日本艦隊の交信が実に克明に記されています(同書・三三四頁以下)。日本艦隊はガラガラ蛇のように、「沈黙」の「艦隊行動」を続けていたわけです。ハワイのアメリカ軍は、実は情報操作のもとにおかれていました。ハワイにアメリカ海軍のは昭和天皇に開戦を上奏していましたが、「反対」とは言えなかったまでです。つまり、大不忠者です。日本海軍は連合艦隊だけではないし、出先の水上部隊が戦争の経営ができるものでもないのです。
しかし、「真珠湾攻撃の大成功」で、山本五十六連合艦隊司令長官は英雄になったのです。連合艦隊の威信はこの上なく高まりました。
マレー沖の海戦でイギリスの主力戦艦が撃沈されたことにより、米英ともに真っ青の事態が生じたのです。
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)

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