では、マシレの姓名科学が、これまで予測してきた実証例をいくつかあげてみましょう。
今まで、マシレは実用的な予測法として、政界および財界の会員を中心として活用されてきました。
昭和35年秋、当時日本経済は、岩戸景気、高天が原景気といわれていました。
しかし、マシレの予測では、36年秋から急下降期に向かうように示されていました。
私は意を決して"国運グラフ"なるものを印刷して政財界に広く配布しました。
この"国運グラフ"は36年夏を最盛期として40年春まで下降を続け、41年春より上昇に転じ、45年の春を最盛期としてえがかれたものでした。
さらに46年8月中旬より急下降を示し、48年秋までは二段底を形成しながら下降するグラフです。
このグラフの評価は、歳月を重ねるにつれて高まり、36年秋には、当時、ルポライターの草柳大蔵氏(くさやなぎたいぞう)の取材で『女性自身』に特集記事として紹介されました。
その誌上で、女優の山本富士子さんの結婚について「新春一月中旬には相思相愛の恋愛結婚をするでしょう」と予測して的中させました。その他、いろいろな週刊誌で、美空ひばりさんや若尾文子さんなどの結婚期を予測して的中させました。テレビやラジオなどにも取材され反響を呼びましたが、企業の盛衰グラフの充実を痛惑し、マスコミから遠ざかり研究に没頭しました。
そして、昭和43企業グラフの完成をみました。企業の売り上げ高や利益率など、人物グラフと同じように12分野に及ぶ分類で的確な予測が可能となったのです。
ではここで、財界関係の例を紹介してみましょう。
現在、ブリヂストンタイヤの石橋幹一郎(いしばしかんいちろう)社長が、まだ副社長当時の話です。
私は、次期社長について「あなたは再来年の2月に社長になりますね」と予測したところ、石橋氏は「さあ、そ のような話はまだ聞いてもいないですよ」と否定的でした。
しかし、予測どおりの時期に社長になられました。
また今は亡くなられた、日立製作所の倉田主税(くらたちから)会長にお会いしたのは、38年の春でした。最初の言葉が「私は科学者です。グラフで実際の姿が予測されるならば、あなたの意見を参考にしましょう」ということでした。
その後、何度か訪ねて、日立製作所のほか、同系列の企業グラフを作製しました。「ああ、やほり私が考えていたような予測グラフになったね」と評価していただきました。それらのグラフは全て、40年秋が底になっていたからです。
特に、日本科学技術振興財団の将来性について、かなり厳しい見通しを述べたところ、「私の面目にかけても守り抜く覚悟ですよ」と笑っていられたのが印象的でした。
最後にお会いした時に、「ある高名な易者が、私は88歳の米寿まで生きると予言しましたが、あなたは何歳まで生きられると予測しますか」と聞かれました。私は寿命については予測しないことを話したのですが、再三聞かれるので、つい「80歳までは大丈夫かと思います。お仕事の方はなるべく早く整理しておくことをすすめます。満80歳を越えれば、88歳までも長生きするでしょう」と答えてしまいました。その時、倉田会長の顔が一瞬緊張したのを覚えています。後でつまらぬことを言ったと後悔しました。
その後、満80歳に近い暮に倉田会長は亡くなられました。築地本願寺の葬儀に参列して、私は心からお詫びしました。
とにかくこの十数年間は、予測グラフの実証のために、いろいろな難問と取組んで、豊かな予測経験をつんできました。
そして、もうどこに出しても決して恥かしくないという技術の裏づけを揃えました。
時あたかもマシレグラフの予測どうりに、日本の発展は厳しさを増す一方です。この情勢下にあって、私たち日本人は、なにかをタクキ台にして、なにかを探りだすという必要にせまられています。
そのなにかとは、物質主義を超越した人間の真実の姿、すなわち自然の生きかたに徹することのできる強い精神支柱を探りだすことだと信じます。
マシレの秘伝を公開する最大の希望はここに帰結します。
姓名分析で得た人生の予測知識によって、互いの人間関係は理解しあい和合して、人生に計り知れない好影響を及ぼすよう本書は編集されています。
家庭の幸せを願う人々に、商店や企業の繁栄に努力する経営者に、接客第一の営業マンの方々に良き相談相手となるでしょう。
特に、海外旅行に出かける留学生や商社マンの方々に、本書を持って行くようおすすめします必ずや話題を豊富にし関心を集めると共に、外国の人々の人物研究の面でも、大いに役立つことをお約束します。
では、早速、本書の最もユニークな基本パクーンである人生を詳細に分析する画数の割り出し方を説明しましょう。本書を読みすすめる上で最も基本となる方式ですから、よく覚えて下さい。
『姓名(なまえ)』牧正人史著 青春出版社 昭和47年刊による
