〇象徴の蛇
我々は、今日まさに目的を達せんとしているといえるまで、今少しの道しか残っていない。我々ユダヤ民族の象徴たる両頭の蛇が、輪を締め合わせるのはもうすぐだ。
欧州各国はその両頭の間に締め上げられること、万力の間に挟まれたと同様になる。
憲法制度の秤の両方の皿は平衡を失って顛覆するであろう。それはあらかじめ我々が秤の支配を損なうために不安定な均衡を与えて狂わせてあるからだ。ゴイムはかくの支配はよほどしつかりしていると思い込んで、平衡は取り戻せると希望をかけている。しかしこの支配たる支配者はつまらぬ家来どもに妨げられ、宮殿を風靡する勢力者たる家来ども特有の密議という絶大な力に引きずられる。
かくて支配者はその意向が人民の心の中まで届かないので、人民と一緒になり力を合わせて権力の略奪者を防ぐことが出来ない。賢明なる王者の権力と、人民の盲目的な勢力とは我々がこれを切り離しているので、もはやどちらも何にもならないのだ。それはこのように離ればなれになれば、杖を失った盲人と同様、何にも出来ないからだ。
〇世界征服の手段
権力階級の人々に権力の濫用を勧めるために我々はすべての勢力を対立させ、その各勢力の自由主義的主張を独立まで発展させることにした。我々はこの方面に向かって様々な発案を起こさせた。そしてすべての政権に力をつけ、権力者をすべての野望の目的物とした。
我々は国家をもってひとつの競技場化したので、そこには現今、反国家運動が起こっている。やがて混乱と破産が各所に起こるであろう。
とめどのない法螺吹きが議場と行政の諸会議とも討論会場としてしまった。勇敢な新聞記者、恥を知らないパンフレット屋は毎日のように政府当局を攻撃する。権力者に対する誹謗はすべての政府を決定的に破壊し去る準備になるのだ。それは民衆を激怒に至らしめるからである。
人民は生活の困難から、かつての奴隷や雇傭の時代よりもさらに難儀な仕事に追い込まれる。以前の奴隷的雇用からは何とかして抜け出したが、生活の困難からはなかなか脱却できない。
我々が憲法に書き込んだ人民の権利というのは幻夢的なもので決して実行のできるものではない。無産者たる労働者は骨の折れる仕事に腰をかがめて働き運命に弄ばれているのに、饒舌家は饒舌する権利を与えられ、新聞記者は真面目なことも書くがとんでもないことをも書く権利を与えられているのはどういうわけか。労働者には我々の代表者を選挙してくれるお礼として我々の食卓のパン屑を受け取るだけの権利しか憲法が与えないのはどういうわけか。
共和国の憲法はこれらの不幸な人々にはひど い皮肉である。というのはほとんど毎日働かなければならぬから憲法を使うことが出来ない。かくのごとき必要から親方か仲間が組織する職業に頼らざるを得なくなって、恒久かつ確実な生活の保障を捨ててしまうことになる。
我々が権力を与えたので、人民たちはその本当の保護者であり、自然の保母であったところの貴族制度を破壊した。
貴族らの利益は人民の安寧幸福と密接な関係があったのである。今日ではその貴族制が破壊されたので、人民はこれを利用しようとする人々や誠意なき支配者の統括の下に立っている。利用家や無誠意の支配者が人民の上に重荷となって遠慮なくのしかかっている。
我々はこのような権制から労働者を救い出すための救世主として現われ出て、フリーメーソンが標榜する「友愛」の名義で常に援助している社会主義者、無政府主義者、共産主義者の陣営に加わることを勧める。
貴族は人民の労働から恩恵を蒙っていたから、労働者が栄養が良く、強壮で、健康であった方が望ましかったが、我々はこれと利害が反対である。それは我々はゴイムの体位低下を祈っているからである。
我々の政権は労働者の慢性栄養不良と虚弱とを必要とする。こうしておくと彼らは我々の政権を頼ってきて、我々を打ち倒すような体力も気力もなくなる。
食糧が不足することは労働者に対する資本の力をいやがうえにも増すのであって、かつて君主の正統な政権が責族に与えたよりもはるかに大きい。
貧困とこれから起こる嫉妬とによって、 我々は下層階級を操縦して我々の前途に立ち塞がる者を打ち砕くのである。
我々の世界支配の時が来れば、これと同じ方法を用いて、我々を邪魔するあらゆるものを一掃することが出来るであろう。
ゴイムは我々の学術的助言なしには物事を考える習慣を失くしてしまった。そのため我我の支配が確立する時のために、我々がどこまでも支持していこうとする事柄が、緊要欠くべからざるものであることを彼らは応じないでいる。すなわち学校において唯一の本当の学問、一番初めにまず教えるべき学問は、人類生活、社会生活の組織のことであるが、それには仕事の分業が必要となり、したがって階級と種族による人民の類別が必要になってくる。仕事の種類が様々な性質を持っているから、平等ということは存在し得ないことを何人も知っておかなければならない。法律の前には責任というものは一様ではない。一個人がその行為のため全階級を損なう場合もあり、また自身の名誉だけを傷つける場合もある。
社会機構の真正の学問はゴイムには知らせないが職業と仕事とは区別されねばならず、また与える教育が職業と一致しないために人が苦しまないようにせねばならぬことを皆に示すべきである。この学問を研究すると、民衆は喜んで官憲と政府の方針に服従することになる。
ただし我々が干渉して指導してきた科学の現況では、無智な群集は盲目的に印刷の文書に信用を置くから、我々が彼らに吹き込んだ通りの考えになってしまう。そして彼らが自分よりも優れていると思うすべての階級の人々に対して怨みを感じる。それは彼らが各階級には常々その重要性があることを知らないためである。
〇世界的な経済恐慌
この怨みは経済恐慌が来て金融を梗塞し、工業を停止させると一層激しくなる。あらゆる秘密手段を用い、幸い我々が全部押さえている金の力により、世界的経済恐慌を現出させて、欧州各国の夥しい労働者群を一時に街頭に放り出すであろう。これらの群集はその無知識のために、幼少の時から羨望の的となっていた人たちの血を流すことで痛快な気分を味わい、その財産を奪い取るであろう。
しかし彼らは我々ユダヤ民族には害をなさない。それは攻撃の始まる時機は我々が知っているのだから、我々の利益を保護するための処置は事前に講じ得るからである。
我々は、自由主義は道理の支配に導くものであるとゴイムに思い込ませておいた。我々の専制はそこまで進んでいるのだから、賢明な制止法をとるとすべての暴動は平定してしまい、そしてすべての制度の中から自由主義を取り除けてしまう。人民たちは自由の名の下にすべての権利を獲得できると思ったからこそ、それで主人公となり権力を得ようと争ったのである。
しかるに盲人のごとくに彼らは幾多の障害物に打ち当たった。そこでもとの道へ引き返さずに彼らはその力をもって我々の足元に詭いてきた。
我々がフランス革命を「大革命」と名付けたことを諸君は想い起こしてもらいたい。我我はその準備の秘密を承知している。それはあの革命は我々の仕事であったからだ。
それ以来我々は諸国民を失望から失望へと導き、ついに我々にも頼らずして彼らは我々が人選した「シオンの血」をうけた専制君主を戴くことに着目するようになる。
〇世界平和という撞着
今日、国際関係においては我々は不敗の位置に立っている。なぜならば一国が我々を攻撃すれば、他の国から支援される仕組みになっているからだ。ゴイムたちの底知れない無気力が我々の独立不覇を都合よくしてくれるのである、すなわち彼らは権力の前にはすりよって行くが弱い者には無慈悲であり、他人の過失には峻厳であるが罪悪には寛容である。自由の矛盾を認めることを拒み、思い切った専制者の強権に対しては、殉教者のような忍耐を示してくれるからである。彼らは事実上、専制者である総理大臣を現在容認し、その下に苦しんでいるが、ちょっとした権力の濫用でもあれば、かつての王であれば二十人も殺したであろう。
かくのごとき現象、かくのごとき撞着が一見同じ性質の事件として、どのように説明できるか? それは独裁者すなわち総理大臣たちが、その手先を使って声を低くして、人民たちにこう言って聞かせるからだ。「この権力濫用は国策には害があるかもしれないが、それ以上の崇高な理由からなのだ。すなわち人民の幸福、世界的博愛、社会連帯と平等とを現実しようとするためである」と。
もちろんこの融合統一は我々ユダヤ人の権力下でなければ出来ないと言ってはいない。
かくて人民たちは正しいものを罰し、不正なものを赦すが、これは彼らが気の向いた通りに何でも出来ると思い込んでいるからである。この有り様だから、人民がすべての安定を破壊して一歩一歩混乱を造っていきつつある。
自由という言葉は、社会全体をすべての権力に向かって対抗せしめるのであって、神や天然の権力に対してさえ反抗せしめるものである。これが我々ユダヤ人が権力を掌握した暁には、この言葉は民衆を血に飢えた獣に改造する暴力の徴であるからと言って、辞書の中から抹消する所以である。さりながら、猛獣は血で満腹すると眠り込むから、その際に鎖で繋ぐのは容易にできることは本質である。そして血をやらないと眠ろうとしないで闘争をするのである。
[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房