第一議定
〇難しい言葉の言い回し方などに拘泥せずに、思想の本質を全部検討してみよう。そして比較と推論とを用いて事情を明らかにしようではないか。
私はこういう行き方で、一面自分を我々ユダヤ人の立場に置き、他面自分をゴイム(訳註:非ユダヤ人)の立場に置いて、我々のやり方を明らかにしてみるつもりである。
『シオンの議定』書 四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房

〇力は権利を産む
世の中には低級な考えの人が多くて、高尚な考えの人は少ないことを忘れてはならぬ。であるから政治の最も善い方法は強権と恐怖とで行くのであって、学説の論議などではいかぬ。誰もが権力が欲しい、誰もができるなら独裁者になりたいので、実に個人の利益を獲るためには公益をも犠牲にして顧みない者ばかりである。
昔から、人間という名の野獣を押さえてきたのは何であったか? 人類社会の原始時代には盲目的暴力であった。その後は法律であったが、法律とて外見の違った暴力にほかならないのである。ゆえに自然の法則から推論すると、権利は力の中に存すると言えるのである。
[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房

〇目標のためには手段を選ぶな
今日においては金の力が自由主義の権力に代わってきた。昔は信仰がしつかり支配した時代もあった。だが、自由という考えでは物は適確にはきまらない、なぜならば、自由を適度に使うということはいかなる人もできないからである。
ある期間人民に自ら支配することを許してみると、彼らは腐敗する。そのときから尖鋭な競争が起こって、やがて社会闘争にまで発展して、ついには国家は火焔に包まれ、その権威は灰儘に帰してしまう。
国家が内部の欠陥のために弱められるにせよ、内乱に乗じた外敵に利せられるにせよ、もはや快復の途なき没落のほかはない。やがて我々ユダヤの権力下に入るのである。すなわち、資本がすべて我々の独裁下にあるので、これを投げてやると、溺れる者が投げられた板にしがみつくように、いや応なしにこれに飛びついて全滅を免れようとするのである。
諸君のなかには自由主義的な考え方で、私のこのような提案を悪辣、不道徳と評する者があるかも知れないが、これに対しては、私は次のように答える。
―国家には内敵外敵の二つの敵がある、そして外敵に対してはいかなる対敵手段を用いても、それは正当であって、不道徳とは認められない。例えば敵に我が攻撃計画を悟らしめないために夜襲をかけるし、優秀な兵力で急襲したりする。しかるに外敵よりもむしろ一層悪質の敵、すなわち秩序の紊乱者、安寧の妨害者に対して同じ方法を用いることがなぜ不道徳と認められるか―と。
[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房

〇政治と道徳とは何の関係もない
群衆の心は常に物事の表面上しかわからない。そんな群衆を吸い込むような矛盾、不理屈の穴があいているところで、本当の理屈をこねたり主張を述べてみて、彼らを指導することがどうして出来ようか。人民は下層民であると否とにかかわらず、常にただただ浮薄な感情や迷信や風習や伝統や、感傷的理論に引きずられているから、党旅の軋礫のなかに巻き込まれるのである。その軋礫というのはいかに賢明な理論から出来上がっている調停案でも、すべてその妥協の可能性を破壊するのである。下層民の決議というのはすべて偶然か表向きの多数によるのだが、それは政治の秘密を知らないために不条理な決議をし、政府のなかに無政府の芽を持ち込んでいるのである。
政治は道徳とは何らの関係もない。道徳に基づいて政治をする人は練達の政治家ではない。したがって永く政権を保つことは出来ない。政治をしようとする人は欺睛と偽善とを用いなければならぬ。民間の大徳目であるところの正直と率直とは、政治においては不徳である。なぜならばこの徳目は強い政敵よりも一層確実、容易にその政府を倒してしまうからである。これらの道徳はゴイ国家の持ち前のものであって、我々は決してこれを模範としてはならぬ。我々の権利は力の中にある。権利という言葉は抽象的な概念であって何ら具体的なものでない。それはただ次のことを意味するだけだ。

僕は君より強いということを証明するために僕が欲しいものをよこせ。

権利は何に始まって、何に終わるか。薄弱な組織を持つ国家で法律があまり機能せず、政府が自由の権利を与えて権威を失った国には、新たな権利が発見できる。新しい権利があらゆる制度と秩序を壊し、法律を軽視し、あらゆる制度を変革して、今まで維持してきた権利を、自由意思で、我々ユダヤ人の利益のために放棄するのである。
[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房

〇群衆は盲目なり
現今すべての政治勢力が不安定であるなかに、我々の力は他のいかなる力よりも危なげがない。それは我々の力が、いかなる技術をもってしてもこれを倒せないほどに根を張ってしまうまでは表には現われないからである。
我々が今用いなければならない一時的な悪政から、確固たる善政が生まれ出て、現在では自由主義によって中絶されている人民生活の機能を、普通に運用できるように回復するであろう。
目的が善ければ手段は選ばないのだ。我々が計画を立てるにあたっては、善いこととか道徳的とかいうことよりも、必要であるとか有用であるとかいうことを主として考えなければならぬ。
我々が眼前に持つ計画というのは、それに戦略的な線が描かれていて、それから外れることはできない。その線から外れるならば幾世紀かの仕事は一空に帰する虞れがあるからだ。
我々の実行計画を研究するには、下層民の卑劣なこと、動揺性のあること、軽薄なこと、安寧幸福の条件を評価したり尊重したりすることのできないことを、考慮のうちに置かなければならぬ。
また民衆の力というものは盲目的で衝動的であり、判断力がなく、一方からも他の方からも引きずられることを知らなければならぬ。盲人が盲人を導くことは、両方とも深淵に落ち込む虞れがあるからいけない。ゆえに人民から選ばれて群衆の代表となった人たちがたとえ天才的な人でも、政治に無能であって、下層民を指導するならば国民全部を滅ぼすことになるであろう。

〇独裁以外には政治の方式はない
幼少の時から専制政治の訓練を受けた者だけが、政治の秘訣を了解することができる。自治を委ねられた国民すなわち国民の各層から出た代表者に任じられた国民というものは、政権欲、名誉欲から起こった政党政派の争いによって凋落し、これによって国内と同様の混乱が生まれ出る。民衆が競争や個人的利害を度外視して国政を指導できるものであろうか?  彼らが競争や個人的利害を度外視して国政を指導できるものであろうか?
彼らが敵に対抗する能力があるであろうか?  それは不可能である
なぜならば、群集のなかに違った意見のある通りに、計画案が分裂して統一が欠け能なものになるからだ。
ただ専制政治家の立てる計画だけが簡単で明瞭で、政治機能をすべて調節できるのである。であるから国家に最も有益な政府というものは、責任を負う一人の者に集中されなければならぬ。
文明の安寧は絶対専制のほかにはあり得ない。なぜならば政府は大衆によって指導されるのではなくて、その首長によって指導せられるからである。
野蛮な群集はいかなる機能にも野蛮性を発揮する。下層民が自由を獲得するとたちまちこれを無政府状態に変形してしまう。
この無政府状態は野蛮の絶頂である。
アルコールに浸ったり、酒で馬鹿になった獣類〔訳註 ごコイを指す〕を見よ。自由が彼らに無制限の飲酒を許したのだ。
もちろん諸君は我々ユダヤ民族にこのような教育を与えることはできぬ。ゴイム〔訳註 泣井ユダヤ人₁₁ゴイの複数形〕は強い酒で馬鹿になった。
彼らの若者は過度な古典研究をしたり、我々ユダヤの手先の手に乗って、いろいろ不良なことをやって精神欠陥をきたすのである。
手先とは富豪の邸宅における家庭教師、婢僕、家政婦などで、 そのほかゴイムの歓楽場にいる女などである。これらの婦人のなかにはい わゆる社会婦人も入るので、ゴイムの相手となって不徳や贅沢に忙しいのだ。
[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房

〇恐怖政治
我らの標語は「力」と「偽善」である。政治では力だけが勝つのである。力が政界人の必要なオ智のなかに隠されている場合にはことに然りである。
強権政治が根本原則であって、新政権の手先に屈伏しまいとする政権に対しては、偽善と姦計とを用いるのが通則である。そんな悪は、善事をなさんとする唯一の手段に過ぎない。それであるから、我々は我々の目的達成のために、腐敗手段や反逆が役立つ場合にはこれを用いるに躊躇してはならぬ。政治上では相手を屈伏させその権力を奪取するためには、他人の財産を奪い取ることを遠慮してはならぬ。
戦争の惨禍を招かず、もっと目立たずに有効な死刑の宣告をもってこれに代えて、平和的征服の必要に応ずることも出来る。すなわちこれで恐怖を続けて人民を盲従せしめるのである。我々はそれからなお強権と偽善の政策を持続せねばならぬ。それは常にこれが我我に有利というばかりではなく、これは我々の義務であり、これによって我々は勝利を獲られるからである。
打算を基礎とする主義はその用いる方法と同様に効果的である。ゆえに我々は常にこれらの手段によるばかりでなく厳正な主義によって勝利を獲て、すべての政権を我々の超政府に切り換えるであろう。
古代において真っ先に「自由」「平等」「友愛」を民衆に投げ与えたのは我々ユダヤ人である。この標語はその好餌に向かって駆けつける蒙昧な魏鵡どもによっていやになるほど繰り返されて、世界の繁栄と、以前は下層民の猛威に対して善く保護されていた真の個人的自由を破壊しさった。教養あり才智ありと称するゴイムも、この三つの標語の間に隠れた矛盾のあることに気がつかなかった。彼らは自然には平等の存立しないことや自由のあり得ないことに注意しなかった。
自然は人々の精神や気質や能力等を不平等にし、これをまったく自然法則に従わせているからだ。彼らは群集の力は盲目的であることを見なかったし、彼らの仲間から選んで彼らを支配することを頼んだ選良も、また彼ら同様に政治には盲目であることを知らなかった。ただ政治の奥義を授けられた者は馬鹿でも統治が出来るし、奥義を授けられない者は天才的な人物でも政治のことはまるでわからないのだが、ゴイムにはそれが一切見逃されている。
しかし永いあいだ王朝政治はその原則に従って、父から子に政治変転の秘密を相伝してきたから、王室の者どもがこの秘密を知り、統治されている人民には誰にも知らされなかった。その後、真の政治原則を一子相伝する意義が次第に失われてきたので、我々の成功に都合がよくなってきた。
地球上のいたるところに「自由」「平等」「友愛」の標語が、何もわからぬ旗持ち人足の熱心な努力で、莫大な人間を我々ユダヤの陣営に引き入れた。しかしこの標語はゴイムの繁栄を蝕み、いたるところで平和、安寧、協同一致を破壊し、国家の基礎を転覆しようとした害虫である。この状態がどれだけ我々の勝利に役立ったことかがわかるであろう。

〇統治者は自由自在に任命する
しかしこんなふうに我々に幾多の有利なこともあったが、とりわけ第一の切り札を与えたのは特権廃止、換言すれば、ゴイムの貴族政治の本質を破壊してこれによって我々に対する唯一の国家、国民の保護者をなくしたことである。
自然的世襲的な貴族政治を倒した廃墟の跡へ、我々が我々の知識階級の貴族政治を打ち建てた。それが金権貴族政治である。我々はこの新貴族政治を「富」と名づけ、我々と、我々の賢者たちが説明する科学とに従属させるのである。
我々の勝利を一層容易ならしめたものがある。それは我々に必要欠くべからざる人々との交際によって、人間の最も感じやすい心の琴線に触れた。
すなわち貪欲、飽くなき個人主義的欲望を動かしたのだ。これら人間の耽溺はいずれも人間の独創の精神を殺してしまって、人々の意向を、彼らに金を出してやる人々の思うままにさせるようになるのである。
自由という空疎な観念が民衆にこう考えさせるようになった。統治者というものは国家の所有者すなわち人民を代表する管理者に過ぎない。
したがって使い古しの手袋のように自由に取り換えられるものである、と。
かくのごとく人民の代表者は取り換え得るものだということが、我々の権力に引き渡したことになるので、実際我々が任命の特権を握ることになるのだ。

[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房