本書『シオンの議定書』は四王天延孝『猶太思想及運動』(内外書房、昭和一六年七月一五日刊)に収められた『附録第三シオンの議定書』(同書四二五~五一七頁)を底本として、表記を現代風に改めたものである。翻訳の原本は「本書はその原本が佛國語であった貼に顧み、佛文三種を基準とし外に英露文各一種及邦文譯五種を必要に應じて渉撒した」(同書四二五頁)とあるのみで、具体的な書名は記されていない。
四王天延孝中将は同書の「第五篇猶太の運動(前記)」中に「第七章シオン長老會議」なる一章を設け、「シオンの議定書」を採り上げたわけを述べている。
それによると、「この文献の執筆者、年代、講述の場所、書き下ろした実際の日時」などいまだに明確になっていないものの、皇紀二五八〇年(大正九年)に初めて手にしてから再度にわたって読んだ結果、「その構想の非凡に驚き、世界の現状にピタリと即応するのに胸を打たれた」とまず告白している。
ところが一方でユダヤ人の側からは、本書が偽書であるとしてしきりに揉み消し運動が行なわれていた。
そこで四王天中将は、これがユダヤ人の『六鞘三略』(戦略指南書)であって、ユダヤ人の運動はすべてこの筋書きどおりに導き出されると演繹的に考えれば、「論旨が不確定で動揺する場合があるかも知れぬ」ので、演繹的に考えないでさまざまな現実から出発して帰納的に考えると、いかにもこの文献のようなプロトコルがあって然るべきだと思えてくる、と言っている。つまり、ユダヤ人の誰かが自分が書いたと告白しようと偽書であると宣言されようと、その内容が現実からおよそ懸け離れているならば焼却処分に付しても構わないが、世界の現実の動きを考える時にこの文献は参考にすべきであり大いに研究すべきである、と四王天中将は言うのである。
ただし、『シオンの議定書』の真偽については、その後さまざまな論議も重ねられ、また、裁判において告訴したユダヤ人側が敗訴したことなども明らかになっているのではあるが、これを「ユダヤ文献」と決めつけて大前提的に扱うのではなく、あくまでも参考資料として提示し、最終的な判断は読者に委ねよう、というのが四王天中将の立場だった。実にいま本書を刊行する目的もそこにある。

四王天延孝(しおうてんのぶたか、一八七九~一九六二)中将は明治一二年旧前橋藩士西村家に生まれるも、後に旧川越藩士四王天政彬の養嗣子となったことから四王天という姓を名乗る。陸軍士官学校第一一期卒業、日露戦争に従軍した後、第一次世界大戦を視察するためヨーロッパに派遣されてフランス軍に従軍し、史上初めて登場した戦闘飛行機に注目して、後に陸軍航空部隊を育成する契機となったことが、自著『四王天延孝回顧録』(みすず書房、一九六四年刊)に見える。ユダヤ問題との出逢いは大正七(一九一八)から始まったシベリア出兵に際して大正九年(一九一〇)に浦塩派遣軍司令部付にて従軍、あるいはその後のハルピン特務機関長を務めて以来のことである。
シベリア出兵に従軍した際にロシア革命により国を奪われたグレゴリー・セミョーノフ将軍などロシア白軍将兵との接触を通してユダヤ問題に開眼したのは、安江仙弘(やすえのりひろ、一八八八~一九五〇、陸士第二一期卒)大佐も同じである。安江大佐は帰国後『シオン長老の議定書』の全文を『抱荒子』の筆名で刊行した『世界革命之裏面』(二酉社、一九二四年刊)の中に収録し紹介した。翌年には同本(表題が「世界革命の裏面」と変わる)を抱荒子・四王天延孝の共著で刊行している。
これより先の大正八、九年ころ、久保田栄吉が日本へ最初に『シオンの議定書』を紹介したといわれるが、詳細は不明である。現在確認できるのは、久保田が昭和一三年に刊行した『ユダヤ議定書―世界顛覆の大陰謀』(破邪顕正社)である。これはセルゲイ・アレクサンドロヴィッチ・ニルスによるロシア語訳と和訳とを併記したものである。
久保田栄吉(一八八八~?)は本名を寺田二三郎と言い、日露戦争後の明治四二年に、旭川第七師団の松本誠一大尉が特命を帯びてロシアに潜入した際にロシア語ができることから同行することとなり、「久保田栄吉」名義の旅券を公布されて以来、その名前を使っていたという。通訳として軍属的な立場で特務活動に従事したのだろう。大正一〇年に従来から旧知であった元社会革命党員ポポフなる人物を頼ってウラジオストックにわたるが、ポポフの斡旋によって一ヶ月五〇〇円の給料でモスクワ共産大学の日本語教授に就くためチタ経由でモスクワに向かった。ところが、ボルシェヴィキ党が権力を握ったモスクワでは高給で遇される日本語教授に就任するどころか、「共産党に共鳴しなかったため」とは本人の言であるが、日本軍の軍事探偵の容疑で拘禁され、それから大正一二年八月までほぼ二年間をモスクワ~ウラジオストック間の監獄に転々と移送拘禁された。釈放後に帰国すると、この間の事情を『赤露二年の獄中生活』(矢口書店、一九二六年刊)として刊行したほか、『ロシア共産党及び老農政府の支那赤化対策に就て』(日本新聞社、一九二六年刊)や『世界革命の実現に活躍するロシアの政治組織』(内外書房、一九二九年刊)などの著作を次々に発表した。

以上いずれもわが国における先学たちが軍事的・思想的立場から、ロシア共産主義革命なるものがロシア人農民労働者大衆による国家体制の変革ではまったくなくして、ユダヤ人一派による国家纂奪と大量殺戦の惨劇であったことを喝破し、わが国体もまた赤化革命に名を借りたユダヤ人による国家纂奪の危機に晒されているとの危機感に駆られながら、改めてユダヤ人に関する研究を痛感し、本書『シオンの議定書』の翻訳・紹介に努力を傾けたことを忘れるべきではない。
ロシア革命の成功により誕生したソヴィエト共産主義政権の成立を踏まえて世界中を戦争に巻きこんだ第二次世界大戦、またその後の世界戦略となった冷戦構造、そのソ連を崩壊せしめ市場原理主義に転換させた「開かれた社会」理論による謀略、そしていま現在は「グローバリゼーション」という怪物が世界中を席巻し、それぞれの風土に則った人々の伝統的な暮らしを根底から破壊している。
こうした世界規模の動きは個々の国家あるいは国家プロックの利害を超えて、ごく少数のアングロ・ユダヤ連合体からなる世界権力=世界金融寡頭勢力の意志が働いていると見るほかない。しからば、彼ら世界寡頭勢力の目指すところは何か?その長期的な計画を知る上で、本書は第一級の資料でありつづけるだろう。

平成二十四年二月

天童竺丸(てんどうじくまる)
[定本]『シオンの議定書』四王天延孝原訳 天童竺丸補訳・解説 成甲書房