伊藤小左衛門は伊勢の室山村の人で、味噌・醤油の製造を業としていました。小左衛門に三人の弟があって、兄弟互いに心をあわせて家業に励んだので、室山味噌の評判が世間に広まりました。
ある年、大地震があって、その倉はたいてい潰れました。その上、雨が長く降り続いたために、味噌・醤油はおおかた腐ってしまって、さしも繁昌していた伊藤の家もにわかに衰えました。世間の人は誰も、「いくら室山の味噌屋でも、もとの身代になることはむずかしかろう。」と言っていました。小左衛門は三人の弟に、「今から兄弟心をあわせて、少しも他人の力に頼らないで、一生懸命に家業に励み、三年の後には、きっともとの身代にして見せようではないか。」と相談しますと、弟たちも皆進んで賛成しました。それから兄弟は仕事を手わけして、大勢の人を使い、一人は潰れた倉の取り片付けにかかり、一人は味噌・醤袖の仕込みを始め、一人はまた遠くへ行って材木を買い集め、小左衛門は全体の指図をしました。かようにし て四人の兄弟は日夜働いて家業に励んだので、一年経たないうちに前よりも立派な倉が出来、身代ももとの通りになりました。
その後、小左衛門は製茶・製糸等の業を始めましたが、兄弟は いつも力をあわせて助け合い、仕事に励んだので、家はますます繁昌してきました。
(五年生)
※伊藤小左衛門…五代目伊藤小左衛門。文政元(一八一九)年~明治一二(一八七八)年。幕末から明治初期にかけての実業家。三重県四日市地域に近代産業を浸透させて、工業都市の基礎を作った。
『国民の修身』監修 渡辺昇一