渡邊登は十四歳のころ、家がまづしい上に父が病氣になったので、どうかしてうちのくらしをたすけて、父母の心をやすめたいとかんがへました。登ははじめ、がくしやにならうと思ってがくもんをべんきやうしてゐましたが、ある時、人から「ゑをかくことをけいこしたら、くらしのたすけになるだらう」とすすめられ、すぐある先生につ いて、ゑをならひました。
父は二十年ばかりも病氣をしてゐましたが、登はその長いあひだ、かんびやうをして、すこしもおこたりませんでし た。父がなくなった時、大そうかなしんで、なきながら、ふでをとって、父のかほかたらをうつしました。さうしきがすんだのちも、朝ばんきものをあらため、つつしんで父のゑすがたにれいはいをしました。

孝ハオヤヲヤスンズルヨリ大イナルハナシ。

『国民の修身』監修 渡辺昇一