令和2年8月30日午前5時10分ごろ、父の入院先の病院から携帯に電話が入った。父や私の恩師である方が、施設に入ってから、枕もとの携帯電話は欠かせない。
記録を見たとたんに、これはもうあかん、と思った。
電話先のナースに10分から、15分で向かいますと伝え、急いで普段着に着替え、バイクで病院に向かった。
到着は、5時20分ごろ。病室に向かうと、モニターがけたたましくアラームをならし、心電図は一本の線を描いていた。
5時30分ごろに担当医がやってきて、瞳孔反応や心音などをチェックし、時計に目をやった。5時35分、父の逝去の宣言だった。
武漢肺炎の後は、病院に面会に行くこともできず、2月に会ったきり、6か月の間、連絡がないことをある意味安堵の印と考えていたので、今朝の電話はそれに対する最後の警鐘だった。
葬儀まで決めるのに、結構プロセスがあったけれど、結局弟と相談して、直葬形式にした。今夜は通夜だ。遺骸は別のところに安置しているけれど、魂はきっとこの家にいる。
今夜は少しだけ寝て、明日の葬儀に供えるとしようか。
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