食傷は日千が生じる五行である。ということは、表現を変えるなら、日干がその気を洩らす五行である。食傷は、この日干が「洩らす」という、日干から外側へ向いた作用に関連するさまざまな事象に関与することになる。ただ注意しなければならないのは、洩らすという言葉には若干マイナスのイメージが伴うが、食傷の作用には、良い面、悪い面の両面があると考えなければならない点である。さて、食傷の、その基本的事象は、「自分の考えとか窯思を外部に表出する行動、および、そうすることの欲求」であると言える。自分の考えを発言し、人に伝えようとすること、歌を歌うこと、体を動かすこと、文章を書くこと、絵を描いたり、作曲したり、創造的な活動をすること、等々の自己表現することをすべて含む。ここでいう自己表現とは、頭の中で考えていることを、人に見えるような形にする、という広義な意味でとらえていただかなければならない。行動を起こさなければ何事も始まらない。人に自分の存在や能力をアピールすることが、社会へ進出していくための第一歩であるが、そうした行動を支えるのが食傷の作用なのである。ただし、その行動がよい結果に結びつくか、悪い結果に結びつくかは、日干の強弱と他の通変の作用との関わりを見て判断しなければならないことになる。
食傷は自己表現、行動力に関わるのであるが、日干が弱く、食傷に洩らすだけの強さがない場合は、深く考えることなく行動してしまい、よかれと思ってしたことが裏目に出る。うかつである、あわて者と人に評価されたりすることになる。
また、行動の方向性を誤る、判断ミスをすることになってしまい、こうした行動が原因で、事故を起こす、怪我をするといった事象にも関わることになる。
また、体を動かせば体力を消耗する。結果、飲食とか休養が必要になる。そのため、食傷は飲食という行動そのものと考えられ、食傷という通変の名称の語源となっているのだが、これは実証的に誤りである。食傷は飲食が必要となる原因となるが、飲食そのものではない。飲食、そして休蓑は後述の印の作用である。食傷によってもたらされる事象の作用は、あくまで外向きに働くのである。
女性の場合、食傷には六親として子女が配当されている。これは、お腹を痛め子どもを産むことから食傷である、と説明されることが多いが、実証的には、食傷からその女性のお子さんのことを論じるのには無理がある。つまり、食傷は子女という考え方は誤りである。ただし、妊娠という状態が、臓器の変調に由来しない身体の変調であることから、食傷が妊娠の時期に関連している点があるため、女性の場合、食傷が子女に関わっている、と考えられていたのではないかと言える。
「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より