火は、心臓に代表される循環器系に関連する。さらに、胸部、口唇の厚薄にも関わる。
顔型は、「上尖下闊(上がとがり、下がひろい)」と言われる形状。つまり、額が狭く、目から下の肉付きがよい容貌になるといわれ、皮膚の色は赤味を帯びるとされている。
味覚は苦味に関連する。パセリとか春菊とかビールの味のほか、実証的には食材の味そのものではなく、焼いたり炒めたりしてできる焦げ目や、きつね色になった炒め物とか揚げ物の味もこれに含まれることになる。つまり、揚げ物のような脂っこい食べ物との関連があることになる。
火には、五常の「礼」が配されている。儒教でいう礼の本来の意味は、「社会生活上の定まった形式、制度・儀式・作法等のこと」であるが、その思考様式に与える本来の作用は、「演繹的思考」である。演繹的思考とは、普遍的と思われる考え・知識から、一般論を説明する際の脳の働きに関与するのである。したがって、成長する過程で学習した社会の規範とか礼儀作法を、無意識のうちに行動に反映させる脳の働きに関与することになり、火の作用が礼儀正しさに関連することから、古来より火は礼であると考えられてきたのであろう。
この本書における火の作用の解釈は、古書に五常として言われていることとかけ離れているようであるが、根源的な部分では関連しているのである。なお、演繹的思考という解釈は、実証的経験からたどり着いた独自のものである。
また、この火の作用による思考パターンは、一つの真理・理念・法則をもとに論理を展開したり、行動したりする思考様式に関与する。例えば、物理法則、時には宗教の教義といった、法則とか理念を実生活に反映したり、応用したりすることに関わることになる。この火の作用がゆえに、科学と宗教は表裏一体の関係をなすことになり、科学者が、晩年宗教的なことに傾倒したり、時にこの火の作用が原因で、科学と宗教の境界を見失う人も現われることになるのである。
したがって、火が強い人は宗教心が強くなりやすいことになるが、火の作用は、宗教だけではなく、呪術的なものとか神秘的なものに関心を示したり、超能力、心霊現象、あるいはUFOのような実体が明らかではないものにのめり込んだりする人の考え方にも関わっている。しかし、火を剋す水と、火に剋される金には、火の作用とは相反する働きがあるため、水金の関わりを無視して、火だけで宗教心が強いなどと断定することはできない。
「滴天髄」の十干の説明のところに、「丙火猛烈」という一句を見ることができる。これは、丙火が陽干であり、丙火が炎とか太陽にもたとえられることから言われていることであるが、火の礼の作用と関連づけて解釈するなら、火が強い人が、一つの信念、理念に焦がれて錦の御旗の下に行動する、過激なさまをいっていると理解することもできる。丙火は陽干であるから特に事象が強く現われることがあるのである。
また、古書中に、火が文章に関わったり、言語能力に関わるという記述が見られる。例えば、「木秀火明。文章富貴人也」「語言急速(早口という意味)」と言われているのである。このことも、火の演繹的作用の一つとして理解することができる。つまり、文章、言語には文法がある。
自国語を話す時、文法を意識することはないが、 無意識のうちに文法という法則を当てはめ言語を構成する作用が脳の中で働いているのである。
確かに、文筆業の人には火が強い人が多いようである。肺病は作家の業病のように言われていたことがあるが、火が強いと金が剋されることになり、金は後述するように肺を含めた呼吸器系に関わるので、文筆業と肺病の関連性を見出すことはできる。
ただし、火があまりにも強過ぎたり、弱過ぎたりするのは、言語・文章能力にはマイナスとなるし、文章力となると、総合的能力も関わってくるので、火のみで即断することはできない点はある。また、言語中枢は左脳にあるので、当然、左脳と火との関連もあることであろう。

「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より