現行太陽暦であるグレゴリオ暦の年初、つまり1月1日は、キリスト生誕の日である12月25日から天地創造にかかったとされる日数の7日を経過した日として定められている。干支暦で12節月を一巡すると1年になるが、干支暦の年の始まりには、立春説と冬至説があり、いく度か改定が行なわれた経緯がある。しかし、前者の立春の節入の時刻を年の始まりとする考えが一般的である。
『史記』で知られる司馬遷は、立春正月説を支持し、
《この時期は氷が溶け、虫が穴ごもりから出るし、百草が芽生え、郭公(かっこう)が鳴き出す。》
といい、立春が万物の始まりの時期となる年初として適切であるといっているそうであるが(訳は志賀勝著『月の誘惑』はまの出版による)、1年の始まりと生物の活動に関連を見ているのは、暦はどうあるべきかという根本的な問題を見据えた卓見ではないかと思う。
しかし、立春は2月4日頃で、日本や中国のように中緯度の地域では、春と言うにはほど遠い気候である。特に日本では最も寒冷な時期に当たる。古代中国人がどうしてこのような時期を春の始まりとしたのか不思議に思われることと思う。その理由については、司馬遷のような考え方もあるが、私は気温ではなく、日差しの強さと日照時間の長さが関わっているのではないかと推測している。つまり、「気温の春ではなく、光の春なのである。」
年により、冷夏であったり、暖冬であったりするため、気温は季節の変化を知るための正確な目安とはならないが、日差しの強さとか日照時間の長さは地球の公転軌道上の位置によって決定することなので、黄経によって定められている節月は、その変化に正確に対応しているのである。
干支暦の夏は、巳月、午月、未月、つまり、太陽暦の5月、6月、7月頃となる。5月は夏というには少し早いが、実際は1年で最も紫外線が強い時期である。6月には昼間の時間が最も長い夏至が巡る。秋とされている申月(8月頃)は日本では真夏と言える時期となるが、日差しは毎日徐々に弱くなり、日照時間も短くなっていく。古代中国人はそうした日照時間の変化に、四季循環の万古不変の法則を見出していたのであろと考えれるのである。
「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より