十干はなじみの薄い漠字であるが、十二支は生まれた年の「えと」という形で日常生活に深く入り込んでいる。子は鼠であり、丑は牛であり、寅は虎であるとして、十二禽(禽とは動物のこと)と十二支を関連づけて使用されている。日本では、自分の生まれた年のえとを知らない人はいないだろうが、生まれた年が動物に関わっているのは、何かおかしいのではないかと思いはしても、それ以上考えることなく使っているのが実状であろう。この十二支と動物との関連づけは、中国では十二支肖獣説といわれ、前漢(紀元前2世紀頃)の頃にすでに存在しており、その起源は大変古い。
十二支発祥の地である中国においては、十二支に動物を関連づけることは、その本質からまったく外れる考えであるとして、古くは後漢の時代(1世紀頃)すでに王充がその著書「論衡」の中において、その不合理を厳しく指摘している。
なぜそうした議論が起きるのかというと、十二支はそもそも陰陽五行論をもとに考え出された抽象的な概念であるからである。『五行大義』には、《支と干は、五行によりこれをたてたものである。》とあり、干のみではなく、支にも五行としての性状があることが言われているのである。同書にはまた《大撓(たいどう)は、五行の情を採り、斗機(北斗七星)の建(さ)すところを占った。はじめに甲乙を作り、以て日に名付け、これを幹と言った。子丑を作り、以て月(month)に名付け、これを支と言った。天に事あれば、すなわち日を用い、地に事あれば、すなわち月を用い、陰陽の別があるので、支と干という名があるのである。》
とあって、干では表わすことのできない「地」の状態を示すものとして、十二支が創られたと言われている。なお、大撓とは、伝説上の帝王である黄帝(別名軒戟(けんえん))の師とされる人物であり、〈斗機の建すところを占った〉とは、北極星の周りを回るひしゃく型をした星座である北斗七星の柄の部分が指す方向を観測したということである。
つまり、十二支は地の気であり、陰陽と五行が配当されており、あくまで時間経過を示すものであって、鼠とか牛とか虎といった動物との関連は、後の時代に、何者かによって付け加えられた俗説でしかないのである。
「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より
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