随想 大谷翔平と矢田修を読む 作り話と分かっていても
随想 大谷翔平と矢田修を読む
作り話と分かっていても
「二脚の椅子」の動画に、心が共鳴した理由
2026年10月29日(木) | 随想 | スポーツ
今朝、ブルワーズが球団史上初のワールドシリーズ制覇を果たしました。その日のうちに、一本の動画が流れてきました。優勝の式典で、監督がトロフィーの隣に二脚の椅子を用意させる、という話です。
三十分を超える動画を見終えて、胸が熱くなりました。ところが確かめてみると、これは作り話でした。それでも、心に残ったものは消えませんでした。作り話と分かっていても、心が共鳴することがある。この記事は、その「なぜ」を書き留めておくものです。
一 動画のあらまし
ブルワーズのパット・マーフィー監督は、優勝の式典でトロフィーのすぐ隣に、特別な椅子を二脚置くよう求めます。一脚は、ブルワーズが倒したばかりのドジャースの大谷翔平選手のため。もう一脚は、日本から招いた恩師「矢田先生」のためでした。
大谷選手は式典に姿を見せますが、トロフィーの隣に立つことは断ります。この夜は戦い抜いた選手たちのものだから、という理由です。矢田先生は、自分の席を、長年黙々と練習場を整えてきた年配の裏方の男性に譲ってほしいと監督に願います。監督はその男性をステージに招き、もう一脚の椅子は空けたままにします。名前を呼ぶことのできない、勝利を支えたすべての人のための席として。
二 作り話だと分かった理由
確かめたこと
一、動画そのものが、終盤で話題にした番組を「架空の世界」のものと語っています。作り手自身が、事実ではないと明かしています。
二、ブルワーズの世界一は、敵地フロリダ州のトロピカーナ・フィールドで、レイズを4勝1敗で下して決まりました。本拠地ミルウォーキーでの式典という舞台とは合いません。
三、作中の「矢田先生」は、山本由伸投手を支えるトレーナー、矢田修氏を思わせる人物です。実際の矢田氏は、山本投手の加入とともにドジャースのチームスタッフとして迎えられた人です。そのドジャースを破ったチームの監督を陰で導いていた、という筋は成り立ちません。
四、決着は日本時間の今朝です。式典の舞台裏まで描いた話が、その日のうちに事実として出回ることはあり得ません。
三 それでも、心は動いた
作り話と知って、一度は醒めました。けれども、時間がたつと、動画の場面がまた胸によみがえってくるのです。
考えてみれば、私たちは子どものころから、作り話に多くを教わってきました。昔話の登場人物が実在しなくても、そこから勇気や思いやりを学びました。作り話の値打ちは、それが本当にあったかどうかではなく、本当のことを映しているかどうかで決まるのだと思います。
この動画が映していた本当のことは、何だったのか。私には、見えないところで支えてくれる人への感謝だと思えました。誰よりも早く来て、練習場を整え、最後に帰っていく人。記録にも映像にも残らない人。その人たちの手の上に、勝利が乗っているということです。
なかでも心に響いたのは、空けたままの二脚目の椅子でした。名前を呼ぶことのできない、すべての人のための席。それを読んで、私は四日前の夜を思い出しました。10月25日、私は大國魂神社で執り行われた軍艦多摩の戦歿者慰霊祭に参列していました。慰霊の祈りもまた、一人ひとりの名を呼び尽くせない方々への祈りです。空いた椅子に込められた思いは、そこに通じていました。
作り話の中の一場面が、自分の身に起きたことと響き合う。共鳴とは、そういうことなのだと思います。
四 なぜ、この二人だったのか
作り手が大谷選手と矢田氏を選んだのには、理由があるはずです。この二人なら、こう振る舞うだろう。多くの人がそう感じる何かを、二人は実際に積み重ねてきました。
大谷選手は、花巻東高校時代に立てた目標の表に「ゴミ拾い」を書き込み、今もグラウンドのゴミを拾う姿が知られています。他人が落とした運を拾う。裏方の仕事を、自分の仕事として引き受ける。トロフィーの隣を譲る作中の姿は、この実際の姿から描かれたのでしょう。
矢田氏については、作り話よりも現実の方が面白いくらいです。ドジャースでは、矢田氏はクラブハウスで「センセイ」と慕われ、山本投手だけでなく、ムーキー・ベッツ選手も指導を仰いだと報じられています。教えは、師弟の枠も国の枠も越えて伝わっていく。作り話が描いた「同じユニフォームを着ていなくても教えを受け、感謝する」という姿は、すでに現実のクラブハウスで起きていたのです。
だからこそ、作り話が胸に届きました。土台に、本物の二人の姿があったからです。
五 共鳴と、事実のあいだで
ただし、一つだけ線を引いておきます。動画の中で大谷選手や矢田先生、マーフィー監督が語る言葉は、すべて作り手の創作です。本人たちが口にした言葉ではありません。作中の「観察・判断・実行」という教えも、矢田氏の実際の理論とは別のものです。
心を打つ言葉ほど、実在の人物の言葉として広まりやすいものです。けれども、本人が言っていない言葉を本人のものとして広めることは、本人に対して礼を欠きます。
共鳴した心は、本物でよいと思います。作り話を作り話として味わい、そこに映る本物の姿は、確かな記録で確かめに行く。その二つを分けておけば、作り話は、私たちを本当のことへ連れて行ってくれる道案内になります。
いま、ミルウォーキーの人々は世界一の喜びに浸っていることでしょう。その陰で、明日の朝もまた、誰かが黙って練習場を整えるのだと思います。
◆ 出典
・YouTube動画(大谷翔平ファンチャンネル提供):「二脚の椅子」を描いた創作の動画
姓名科学のページ
牧正人史先生が昭和三十三年に発見された姓名科学の体系を、デジタルの形で遺す仕事を続けています。
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