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第五章・いのちの時代 連載第百二十五話 あの戦争を、生きて

第五章・いのちの時代 連載第百二十五話 あの戦争を、生きて

第 五 章 ・ い の ち の 時 代
連載第百二十五話
あの戦争を、生きて

東府中の、施設には——歴史を、その身に、刻んだ人々が、いた。

穏やかに、老いて、車いすに、座り、甘いものを、食べ、音楽を、聴いている。けれど、その一人ひとりの、来し方を、たどれば——日本の、激動の、時代が、そこに、眠っていた。

一人は——陸軍中野学校を、出た方だった。

あの、秘密の、諜報機関。スパイを、養成する、学校。その名を、聞けば、誰もが、身構える。けれど——その方の、口から、工作の、話など、毛頭、出なかった。かわりに、出てくるのは、上官との、信じられないような、破天荒な、逸話ばかりだった。

彼は、思った。あの、息の詰まるような、スパイ学校で、教員である、上官たちも、きっと、苦しかったに、違いない。だからこそ、この人の、豪放磊落な、ところや、物事を、瞬時に、判断する、その瞬発力に、救われ、惹かれたのだろう、と。

そして——彼自身も、その方に、気に入られた。

思うに、同じような、体臭を、持っていたのだ。規格に、収まらない。少し、豪放で、少し、好い加減。彼の、その、他の介護士には、ない、「好い加減」な、ところを、その方は、見抜いていた。だから、よく、外出の、お供を、頼まれた。

その方は、肺気腫を、患っていた。どこへ、行くにも、酸素ボンベを、引いていく。それでも、外へ、出たがった。そして——彼が、担当すると、ほかの、介護士に、頼むよりも、倍近く、遠くの、店まで、行けたのだ。規則の、内側で、けれど、少しだけ、遠くまで。その「好い加減」が、その方の、晩年に、小さな、自由を、もたらした。

その方は、甘いものが、好きだった。出かける、たびに、饅頭を、買った。イチゴを、買った。アイスクリームを、買った。酸素ボンベを、引いた、元スパイが、嬉しそうに、甘いものを、選ぶ。彼は、その、行き帰りに、いろいろな、話を、聞いた。その、大半は、もう、覚えていない。けれど、あの、豪放な、笑い声だけは、忘れない。

もう一人は——戦艦大和に、関わった方だった。

あの、大和である。日本の、いや、世界の、海に、浮かんだ、史上最大の、戦艦。その方は——大和の、主砲の、修理に、携わった、という。呉だったか、佐世保だったか。彼の、記憶は、もう、定かでは、ない。ただ、その方が、あの、巨大な、砲に、手を、触れた、ということだけは、確かだった。

その方は、語った。修理が、終わり、発砲の、試験を、することに、なった。ところが——その、試射を、する場所が、ない。あまりに、砲が、大きすぎて、撃つ場所に、困ったのだ、と。

そして、いざ、試射を、すると——凄まじい、爆風だった。周囲には、人が、いられないほどの。その話を、聞いて、彼は、なるほど、と、思った。だから、実際の、海戦で、あの、主砲を、撃つときも、甲板の上には、人が、立てなかったのだ。あの、巨大な、砲の、一発が、どれほどの、ものだったか。その方の、言葉で、彼は、はじめて、肌で、理解した。

歳月を経た今、振り返って、思う。

あの、東府中の、穏やかな、食堂。甘いものを、頬張る、元スパイ。大和の、主砲を、語る、老技師。彼らは、もう、ただの、優しい、お年寄りだった。けれど、その、しわの、奥には、日本が、駆け抜けた、あの、激動の、時代が、刻まれていた。歴史とは、教科書の、中に、あるのではない。こうして、一人ひとりの、老いた体の、中に、生きて、息づいている。彼は、いのちの、現場で、生きた、歴史に、触れていた。そして——その、証言を、聞くことが、できた、最後の、世代の、一人に、自分が、なっていることを、静かに、噛みしめていた。

生かされて、今を、存在する。

酸素ボンベを引いて甘いものを買った豪放な元中野学校の方と、大和の主砲の凄まじい爆風を語った老技師と、市井の老人の中に眠っていた、あの激動の時代を、今も、自分は、確かに、覚えている。

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