第四章・覚醒の時代 連載第七十九話 父と母
第 四 章 ・ 覚 醒 の 時 代
第 七 十 九 話
父と母
― 反 対 と 、 理 解 と ―
改名は、自分と妻と健慈の三人だけの話ではなかった。
牧先生が示してくださった改名案は、家族全員、五名分。父と母も含まれていた。当時、私たちは、両親と同居していた。同じ屋根の下で、父と母と、私と妻と健慈の三世代が、暮らしていた。後に、私たち夫婦のために、家の改築まで行うことになる。そうやって支えてくれていた両親に、改名を、頼まなければならない。父の名前を、母の名前を、新しく組み直すこと。父母が長年、自分のものとして生きてきた名前を、捨ててもらうこと。これは、ふつうに考えれば、自分と妻と健慈の三人の改名よりも、もう一段、重い話だった。
中野からの帰り道で、私は、その重みを、頭の中で繰り返していた。
妻と健慈と私の三人の改名なら、私自身の決断で、進められる。けれども、父と母の改名は、私の決断だけでは、進められない。父と母、二人の同意が、いる。同意が得られなければ、家族全員五名の改名は、成り立たない。家族全員五名で初めて、姓名科学の中での新しいバランスが、生まれる。一人欠ければ、それは、もう、別の話になってしまう。父と母を、説得しなければならない。それは、説得ではあったが、それ以上に、命のかかった頼みだった。
◇ ◇ ◇
両親に話を切り出したのが、どこで、どのような場面でだったか、もう、はっきりとは思い出せない。
居間の食卓だったか、別の部屋だったか。夜だったか、休日の昼だったか。それも、定かではない。けれども、その夜のことを、私は、覚えている。父と母を前にして、私は、すべてを話した。妻の命のこと。書物の中のあらゆる扉を叩いたこと。漢方も、丸山ワクチンも、温熱も、岡山大学も、東京駅の予言者も──試せるものは、すべて試したこと。けれども、扉の向こうの道が、見えてこないこと。そして、牧先生のグラフのこと。1987年3月末という、近づきつつある日付。「間に合えばよいのだが」という、先生のお言葉。
家族全員五名の改名が、最後に残った活路です──私は、そう、伝えた。
父と母には、私が、どれほどの覚悟で、その話を持ってきているか、伝わっていたはずだ。書店通いの日々のこと、夜明けの台所のことを、両親は、近くで見ていた。私が、何かを思いつきで言っているのではないこと。すべてを叩き尽くした末に、たどり着いた話であることは、両親には、よく分かっていたはずだ。
◇ ◇ ◇
それでも、父は、明確に反対した。
「私が、こだわって、お前の名前を付けたのだ」──父は、そう言った。
父の気持ちは、痛いほど分かった。
私が生まれた時、父は、ある思いを込めて、佳延という名前を付けた。それは、父にとって、自分の人生の中の、深い場所にある、ひとつの達成だった。息子の名前を、自分の考えと、漢字の選定と、家族への思いとで、組み上げた。その名前を、息子から「捨てたい」と言われた、父の気持ち。父は、息子の改名に反対しただけではなかった。父自身の名前も、組み直すように、と言われていた。生まれてから七十年近く、自分のものとして生きてきた「清雄」という名前を、捨てるように、と。父にとっては、二重の意味で、受け入れがたい話だったはずだ。
けれども、私は、引き下がれなかった。
父の気持ちを、頭では理解しながら、それでも、私は、引き下がるわけにはいかなかった。妻の命が、グラフの谷の底に、近づきつつあった。間に合うか、間に合わないか──父の同意が、その鍵を握っていた。私は、何度も、父に、話した。一度の夜では、決着しなかった。二度、三度、繰り返し、父と話した。父は、その都度、首を縦には振らなかった。父は、自分の領分を、簡単には譲らなかった。
◇ ◇ ◇
けれども、母は、違っていた。
最初の夜、私が、すべてを話し終わった時、母は、しばらく、黙っていた。それから、ただ、黙って、頷いた。それだけだった。多くを、語らなかった。けれども、その頷きの中に、明らかな同意があった。父の反対と、母の理解との、それは、はっきりとした違いだった。
なぜ、母は、すぐに理解を示してくれたのか──その時の私には、はっきりとは、分からなかった。
母は、ふだんから、家の中の出来事に対して、声を荒げない人だった。父が何かを決めれば、それに合わせて、自分の動きを、整える。父が何かを言えば、それを、まず、受け止める。そういう母だった。けれども、それは、母が、自分の考えを持っていない、という意味ではなかった。むしろ、その逆だったのかもしれない。自分の考えを、自分の中に、深く、しまっていた。それを、ふだんは、表に出さない人だった。
その母が、改名の話に対して、ためらわずに頷いてくれた。
それは、母の中の何かと、姓名を組み直すという話とが、深い場所で、響き合った、ということだった。当時の私には、その響き合いの正体までは、見えていなかった。ただ、母が同意してくれた、という事実だけが、私の中で、ひとつの心強い手応えとして、残った。
◇ ◇ ◇
母の同意の本当の意味を、私が知ることになるのは、しばらく後のことだった。
牧先生は、姓名科学の中で、ある一つのことを、見抜いておられた。父の名前「清雄」と、母の名前「静江」の組み合わせが、姓名科学の中で、ある特定の力学を、生み出していた。それは、父が、母に対して、知らず知らずのうちに、無意識の圧力をかけ続ける、という力学だった。父自身は、そんなことを、まったく意識していなかった。母を傷つけようなどとは、夢にも考えていなかった。むしろ、父は、父なりに、母を大事にしていた。けれども、姓名の組み合わせの中に、無意識の圧力の構造が、入り込んでいた。それを、父も母も、自分では気づかないまま、長い年月、その関係の中で、暮らしていた。
母は、自分の中で、ずっと、何かを、抱えていた。
父の気持ちに、表立って反論することは、なかった。けれども、ふだんの母の中には、自分でも言葉にできない、ある重みが、長年、座っていた。それを、母は、誰にも話さず、自分の中だけで、受け止めていた。母自身、その重みの正体を、はっきりとは、分かっていなかったかもしれない。ただ、何か、説明のつかないものが、自分の中にある──そういう感覚を、持っていたのではないか。牧先生の示唆は、その母の普段の感覚と、ぴたりと、重なった。母が、ためらわずに頷いてくれたのは、たぶん、そういうことだった。
◇ ◇ ◇
姓名科学の中の、もう一つの大切な観点を、後年、私は、教わることになる。
結婚するまでは、相性のよかった二人が、結婚して、女性の姓が変わることによって、それまでとは違う、新しい力学が、夫婦の間に生まれることがある。結婚してから、何年も経った頃から、その新しい力学の影響が、徐々に、姿を現し始める。二人の関係の中に、説明のつかない、ささやかな不協和音が、立ち上がってくる。お互いに、相手を大事に思っているのに、なぜか、すれ違う。互いの善意が、相手には、別のかたちで、届いてしまう。世の中には、たぶん、同じような感情を抱えている夫婦が、たくさんいるのではないか、と、私は、思っている。二人とも、何も悪くないのに、姓名の組み合わせの中の何かが、二人の関係に、影を、落とす。
私の父と母も、その一例だったのだろう。
父と母の結婚は、深い愛情の上に、成り立っていた。父は、母を、大切にしていた。母は、父を、立てていた。それでも、姓名の組み合わせの中の何かが、母の中に、長年の重みを、積み重ねていた。それを、父も、知らなかった。母も、自分では、はっきりとは、分かっていなかった。けれども、牧先生は、それを、ご覧になっていた。改名の話を、母が、ためらわずに受け入れてくれたのは、母の中の何かが、その変化を、求めていたから、だった。
◇ ◇ ◇
父の反対は、その後も、変わらなかった。
私は、何度も、父と話した。母の同意のこと、妻の命のこと、グラフの谷の底の日付のこと——一つ一つを、父に伝えた。父は、その都度、私の話を聞いた。けれども、首を縦には振らなかった。父は、自分の名前を、息子の名前を、組み直すことを、最後まで、受け入れなかった。それが、父の選択だった。父の領分の中で、父が選んだ答えだった。私は、最終的に、それを、受け止めるしかなかった。
母は、母で、また別の道を選んだ。
最初の夜、私の話を聞いて、頷いてくれた母。けれども、その後、母は、牧先生の姓名科学の話を、私から、間接的に、もう少し詳しく聞いた。父の名前と自分の名前の組み合わせの中に、自分が長年抱えてきた重みの正体が、あるということ。改名すれば、その重みから、解放される可能性があること。それらを、母は、私を通じて、知った。そして、母は、しばらく、考えた。最終的に、母は、改名しないことを、選んだ。
表面的には、父が同意しないから、母も改名できない、ということだったかもしれない。
けれども、それだけではなかった、と、私は、思っている。母は、自分に課せられたその運命を、自分で享受することを、選んだのだ。「我慢する」のでも、「受け入れる」のでもない。「享受する」——自分の名前と、自分の生涯と、その中で抱えてきた重みのすべてを、自分のものとして、深く、引き受ける。それが、母の生き方だった。母は、その選択を、誰にも話さなかった。けれども、私には、後年、振り返ってみて、母の選択の重みが、はっきりと、見えてきた。
◇ ◇ ◇
結局、改名することになったのは、三人だけだった。
私と、妻と、健慈。家族五名のうち、三人。牧先生のお考えでは、家族全員五名の改名で、初めて、姓名科学の中での新しいバランスが、生まれるはずだった。けれども、その完全な形は、実現しなかった。父は、自分の名前を守った。母は、自分の運命を享受することを選んだ。残った三人だけで、新しい名前の選定を、進めることになった。
それでも、私は、三人の改名を、進めるしかなかった。
五名のうち二名が欠けるということが、姓名科学の中で、どれだけの差を生むのかは、当時の私には、分からなかった。けれども、何もしないよりは、三人だけでも、進めるしかなかった。妻の命が、グラフの谷の底に、近づきつつあった。時間との戦いは、変わらず、続いていた。「間に合えばよいのだが」という、牧先生の言葉が、私の中で、毎日、響いていた。三人だけの改名で、果たして、間に合うのか——それは、誰にも、分からなかった。
けれども、新しい名前の選定の話は、また、別の話になる。
(つづく) R080526
◆ 制作者からのお知らせ ◆
この物語の核にある「姓名科学」を、AIで復活させたサイトを公開しています。お名前から、人生の運勢の流れを読み解く、牧正人史先生の独自理論です。
→ 姓名科学サイト(yymm77.github.io/seimei-kagaku/)
方位学・易経・組織相性のツールも、同じサイトから無料でお試しいただけます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【無料】牧正人史式 姓名科学 解析システム(マシレ予測)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
#牧正人史 #マシレ予測 #至誠の覚醒 #姓名科学 #改名

