GHQ焚書図書シリーズ 国難と北条時宗
国会図書館デジタル資料室
国難と北条時宗
この鎌倉時代の「元寇」について、GHQが行ったのは焚書だけではありません。
実は、教科書でも戦前と戦後で書かれている記述が明らかに変わっているのです。
というのも、戦後の教科書には「元軍が日本を襲った元寇は、2回とも偶然の神風(台風)によって救われた」と書かれていますが、、
このように書かれるようになったのは、戦後GHQの占領下で作られた教科書『くにのあゆみ』 から。幕末から明治にかけて最も読まれた歴史書である『日本外史』には神風という言葉すら出てこず、、鎌倉武士の奮闘のみが描かれています。
実際残された史料を見ても、教科書とは食い違う事実ばかり….
●元軍は「武士に」敗北
教科書では神風に救われたと言われていますが、それ以前に元軍は武士に負けて撤退を決めています。実際「元軍は敗北した(関東評定伝)」ことや、その決定的なダメージとして鎌倉武士が「元軍の副将を射抜いた(「高麗史」金方慶伝)」など、日本と元軍側、両方の史料に記録があります。
●日本の武器の方が優れてた
武器についても、日本の武士が使用しているものの方が優れていました。切れ味のいい日本刀もそうですが、驚くべきは弓矢の飛距離。元軍が使用した弓矢の2倍ほども飛ぶため、敵の攻撃が届かないところから次々攻撃…
元軍側の記録にはむしろ日本の武士を恐れた記述が残されています。
●2度目を予見した「完璧な防御」
2度目の襲来についても、当時の北条時宗政権は用意周到でした。元軍の再来を予測して全長20kmにも及ぶ石塁を築くほか、九州の守りを固めるために兵力を集中させる指示を出しています。その結果、元軍は、1度目の約4.6倍…当時の対外戦争では最大級である14万もの兵を用意したにもかかわらず敗戦。その後には、むしろ日本からの仕返しを恐れる記述を残しています…
