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私は親子喧嘩をしたことがない

子どもは頭が柔らかい、なんて言いますが、「思考」という意味ではそうでしょう。そもそも思考が固まっていませんから、いろいろな発想ができます。中学、高校時代に、「あれがしたい、これがしたい」と将来について思うのは、頭が固まっていない証拠とも言えます。
では、いつ思考が固まってしまうかと言いますと、もちろん個人差はありますが、だいたい25歳と考えていいでしょう。大学卒が会社に入って、3年目、といったところですね。少しずつ思考が固まっていって、25歳頃に完成を見る、というわけです。
髪型とか、ファッションもそうですね。
男性なんて特に顕著ですが、ほとんどの人は、思考が固まったときの髪型を、その後、通すのではないでしょうか。
これ、25歳までに固めたあなたの「考え」が、そのまま、社会からリタイアする65歳まで続く、ということです。どういうことかと言いますと、先の「婚前交渉調査」を見ても、それははっきりしています。だって、30歳の時点で、婚前交渉にN0と言っていた人は、時代が変わり、50歳になって社会はまったく違うものになっているのに、N0と言い続けるのですから。
パッと見て、世の中が変わって見えるのは、歳を取った人が亡くなって、新しく若い人が入ってくるからなのです。「社会が変わる」というのは、そういうことなのです。
親子喧嘩の理屈も(もっと言うならば世代間論争も)、これでほとんどの説明がつきます。
もういちど、「婚前交渉調査」(昨日)。のグラフを見てください1983年のグラフで説明します。

親が60歳だとすると、子どもはだいたい30歳なので、それぞれの数字を見てみます。60歳の親世代は、80%が婚前交渉はダメだと言っています。ところが、30歳の子ども世代は、20%しか、Noと言いません。数字が真逆なんですね。この世代の父親と息子で婚前交渉を話題にすれば、当然、決裂します。「お前はおかしい!」「親父は間違ってる!」と激しい言葉の応酬となるでしょう。25歳までに固まった思考が、ほぼそのまま続くのですから、30歳の息子も、60歳の父親も、最初の立場は揺るぎません。最初から一緒の考えならともかく、そうでなければ、 議論は一生平行線です。平行線であることが当たり前なのですから 、腹を立てるだけ損 、ということになりますね。
ではここで、父親の威厳とばかりに、親が「正しい」と思っている「婚前交渉はNoだ!」という考えを押しつけたとしましょう。子どもは仕方なく、その考えに「従う」と言う。
親にとっては満足な結果かもしれませんが、その子の世代からすると、圧倒的多数―――多数決の論理からいったら「正しい」側―――から外れてしまうことになります。子どもが新しい社会を生きなければいけないという観点からすれば、親の言うことを聞くと人生、マイナスになってしまうのです。
親子の間をつなぐものは 、「考え」や「意見 」ではないのです。あえて言うなら、 「 愛情 」しかないでしょう。なぜなら、思考が一致することはないのですから。そう考えても、親子喧嘩 とは、実に意味がないものなのです。
私は娘がひとりおりますが、自慢でもなんでもなく、喧嘩を一度もしたことがありません。実は、私は子どもの言うことを 、「 ああ、また間違っている」と心の中で思っているのです。
しかし、それは私が「間違っている」と思うだけで、子どもはそれが「正しい」と思っているわけですから、「意見」や「考え」をすり合わせることはできないのです。意見 が一致しないのが当たり前なのですから、そのことで揉めるだけ損です。
意味のない争いを避けるために、先ほど言った「仮の正しさ」が必要になってくるのです。部下と上司、選手と監督、という「役割」分担です。親子の場合ならば、「親」と「子」という役割に徹し、争いを避けるのです。
学校の先生なんかもそうです。
先生というのは、生徒より優れているから教師をやっているわけではないのです。実は「能力」が問題ではありません。実際、常に先生が生徒よりも能力が高いとは限りませんから。小 中・高はそれでも教員免許が必要ですが、大学になると、何の資格もいりませんから。
しかし、実力主義を徹底して 、「 能力がもっともすぐれているものが教師となる」とすると、毎時間、教師が替わってしまうということが起こりえます。これでは授業になりません。だから、「先生」という役割を与えているのです。
「親」も同じです。これもまた、「役割」なのです。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より

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