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第一話 「正しいこと」を考えるスタートライン 電力事情から見る現代日本の「正しさ」

3・11の福島原発事故以降、私たちにはさまざまな問題が降りかかりました。いまだ、解決していない問題が多くあります。
私はこう思っています。いちばん大きな問題は、これまで私たち日本人が考えてこなかった「正しさとは何か」ということを突きつけられたことではないか、と。原発維持だと言う人もいれば、即やめろと言う人もいる。どちらも主張している人から見れば「正しい」のです。つまり「考える」ことが山ほどある、ということです。
ここで、「正しさ」とは何かについて、整理してみましょう。
大抵の人は困ったことに、「自分が考えていることが正しい」と思っています。ひとつの正解です。例えば、あることについて、「これは正しいですか? 間違っていますか?」と人に尋ねるとします。皆さん、当然ジャッジを下します。では、そのジャッジは、どういう理由で導き出されたのでしょうか。今度はそう問うてみます。すると多くの人の答えはこうなります。
「自分がそう思ったからです。そのジャッジが正しいと思ったからです」
もし、皆が同じジャッジならば揉め事になりませんが、そんなことは滅多にありません。
あることについて、Aさんが「正しい」と言い、Bさんが「間違っている」と断言すれば、Aさん、Bさんの間で議論となります。議論で済んでいるうちはいいのですが、何せ2人のジャッジの根本にあるのは、「自分がそう思ったから」という曖昧なものです。お互いが「そう思った」のだから、議論が噛み合うはずがないのです。当然、感情は激化し、下手をすればつかみ合い、過去には、殺し合いになったこともあります。つまり、「自分がそう思った」というところに立つと、「正しい」――すなわち「正義」は、生きている人の数だけ存在することになります。夫婦喧嘩や兄弟喧嘩がなくならないのは、ひとえにこうした理由なのです。
「オレが正しい」「いや、ワタシ が正しい」……堂々巡りは、それこそ果てなく続きます――何せ「お前は間違ってる!」と相手に 言えば、その台詞がそっくりそのまま、自分の身に跳ね返ってくるのですから。国家間の紛争も、こうした「自分たちが信じている正義」のぶつかり合いだったりします。
正義は限りなく存在する―――これはひとつの真理です。しかしこれでは、ラチが明きません。
では、どうしたらいいでしょう?
人間社会は経験的に、「これが正しい」ということを決めてしまおう、ということにしたのです。つまり「自分が正しいと思っているから」ということ以外に、「正しさ」を用意することにしたのです。

『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より

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