自分の行為を見直すのはあまりよい気持ちはしませんが、最後にクーラーに関する錯覚を整理して、リサイクルの錯覚を終わりにします。
真夏に暖房をつける人はいないでしょう。しかし、現実を自分の感覚で捉えるのが無理で、自分と他人のことがよくわからなくなり、そしてそれをじっくりと考える暇もない現代では、真夏に暖房をつける人の数が増えているのです。
エアコンというものがあります。都市がコンクリートに囲まれ「ヒートアイランド」と呼ばれるようになって、特に夏のエアコンはなくてはならないものになりつつあります。そして一昔前まではほとんどの車にはクーラーはなく窓を開けていましたが、今ではほとんどの車がクーラーをつけて走っています。
エアコンはそれを使う人にとっては部屋を冷やすという点で「クーラー」といえますが、外にいる人にとっては室外機からの熱風を受けるヒーターです。特に冷やすという操作は効率があまり上がりませんから、冷やすためのエネルギーより多くのエネルギーが使われ、そのすべてが「熱」となって放出されるのです。
「何か仕事をして、その後に何も残さないということはない」というのが熱力学の教えるところであり、エントロピーの増大の法則が教えることでもあります。そのような世の中の活動でも、エアコンは特に効率が低いものなのです。冷房効率を計算した例によると、建物の設計によって異なりますがおおよそ〇・七~五%と計算されています(Ayres.R.)。実に低い効率で後は熱となって飛散します。
夏の暑い盛り、外気が三〇℃になろうとしているときに都市ではいっせいに暖房(クーラー)をつけ始めます。そのために外気の気温が上昇し、むんむんする都市の環境が生まれます。照りつける太陽、エアコンからの暖房、舗装道路からの照り返し、ビルからの熱気、自動車からの排気ガスに囲まれた都会の夏が来るのです。
かつては少し湿り気のある土が露出していました。木々も日陰を作り、わずかですが水を蒸発させて真夏の熱を吸収していました。木々の間を抜けてくる風は何ともいえないほど心地よいものだったのです。
自分が冷えるから良い、といってクーラーをつけ、それが他人にとっては暖房であることに気づかないのが現代人の特徴です。そしてクーラーは単に周辺を暖めるだけではありません。よく知られているように夏の電力消費は年間を通じて最大値を示します。電力は貯蔵しておくことができませんから、最大電力にあわせて発電所や変電所、送電設備を整えなければなりません。その結果、発電所の建設に莫大な物資を使い、一年中あまり使わない規模の変電所や送電設備を保持しておく必要が生じます。
エアコンを使っている人たち、その中には残念ながら「環境派」の人たちもいます。その人たちは環境を守るためにリサイクルに汗を流し、ときによっては環境を守るという理由で原子力発電所の建設に反対することもあります。原子力発電所の建設に反対する前に、自分の家や車のクーラーを捨てれば原子力発電所の建設の必要性自体がなくなるかもしれません。
実は著者もエアコンを使わずに生活ができなくなってきています。間違っていると感じつつ、夏も背広を着てクーラーの利く電車に乗り、大学の研究室にもクーラーがついています。自分でクーラーをヒーターというべきだといっておきながら、現実にはクーラーを使っている、ここのところが自分一人では何もできないという環境問題の難しい一面を示しています。
まず、真夏の暖房を控えるためには、都会に住む人の多くが心をあわせてクーラーを止める必要があります。他人が暖房をつけているとどうしても防衛上クーラーを使用せざるを得ないからです次に、背広とワイシャツをやめなければなりません。背広を着ていると汗まみれになりますし、 背広は簡単に洗濯ができないのでどうしても汗をかきたくなくなります。しかし、自分だけ背広を着ないとわざわざ暑いところを背広を着て訪問してくれたお客さんに「なんだ、礼儀知らずの奴」と非難されますので、これも単独ではできません。
結局、夏の暑い盛りに暖房をいっせいにつけて、みんなが「暑い、暑い」と悲鳴を上げ、クーラーを利かせてその中で冷房病になるという奇妙なことが起こるのです。
不合理なリサイクルなどで一致協力するならその前に、都市に緑を増やし、無制限に土の地面を減らさず、少しの土けむりを許して自然の環境を大切にしたほうがよいでしょう。そして、夏は夏らしい格好をし、汗を流し、気持ちよく夕方には風呂に入りたいものです。
それには多くの人が心を合わせなければなりません 。そして、家庭電化製品を売っている販売店がクーラーを「真夏ヒーター」といって販売したらその店は本当に環境に優しく、本心から環境問題を心配している販売店ということができるでしょう。
リサイクルが「リサイクルを商売とする人たち」によってかなり汚され、正しい指針を失ったように、クーラーや背広の問題も政治家のバフォーマンスなどの職業的な目的に利用されて失敗したこともあります。政治家が環境問題を取り上げてそのパフォーマンスとして背広を脱いで軽い服装にすることは政治家として間違っていないように思います。
しかし、現代のように多くの政治家が本心から行動しないとみんなが思っているときには、効果は逆になります。したがって、政治家がその誠意を疑われている間は、私たちが最初に心を合わせることが大切でしょう。
しかし、社会をリードしている一流会社のサラリーマンや重役も、多少考え直してもらう必要があります。それは「背広とリサイクルの関係」です。
環境を大切にしていると標榜している一流会社の社員は、夏でも背広を着用して家を出ます。駅のエスカレーターを利用してホームに上り、電車に乗り込みます。電車にもクーラーがガンガン利いていて背広を着ていても寒いくらいです。そして会社に着くとエレベーターで一〇階にあるオフィスに上がり、そこで一段落します。
しばらく仕事をしているとノドが渇いてきたので近くのコンビニエンスストアに行ってペットボトルの飲料を買い、またエレベーターを使って自分の机に戻ります。そして、小一時間、買ってきた飲料でノドを潤しながら仕事をします。予定を見ると午後からは「冷房病をどうして防ぐか」という懇談会が予定されています。部屋の湿度を高くすることができないので、寒い人はカーディガンなどを着るように勧めようと思っています。
そうこうする間に、ペットボトルは空になったので捨てます。環境に配慮する会社ですから決してゴミ箱にペットボトルを捨てるようなことはしません 。二〇歩ほど行ったところに「リサイクル箱」が設置してあるのでそこまで歩いてペットボトルを投げ込みます。
かくしてこの人の「環境に優しい生活」は完結します。
「裸の王様」という話があります。その内容は誰でも知っているので省略しますが、何か似ていないでしょうか? あまりにも矛盾した行動に本人は気づかないのです。環境に優しい生活とは、真夏に背広を着てクーラーを使う生活ではありません。足があるなら階段は自分の足で上ればエスカレーターの設備もそれを動かす動力も不要です。そしてノドが渇いたらコンビニエンスストアまでペットボトルの飲料を買いに行かなくても、水道のあるところで水かお茶を飲んだらそれでノドの渇きは押さえられます。そして冷えすぎの部屋でカーディガンを羽織る必要などないのです。
さらに「ペットボトルをリサイクル箱に入れた」ということとリサイクルをしたということは全く違うことです。
このサラリーマンは全くリサイクルはしていません。「リサイクルをする」というのはペットボ トルを実際に洗浄し、成形し、再びペットボトルにする作業自体をこのサラリーマンがすることで、それを「リサイクル」というのが当たり前です。単に隣のゴミ箱に入れずに「リサイクルの箱」に入れたことがリサイクルをしたと勘違いするのです。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より
