私たちの認識や思考は、自由になされるのではありません。思考の制度に束縛されて不自由なものです。例えば、マルクス主義者は固有な思考制度の住人なのだから、その意味ですでに不自由です。これを批判する者も同じように自由とは言えません。
史観についても事情は同じです。歴史的な事実をどう見るかという以前に、何が事実かということ自体がすでにして問題になることが多いのです。
二〇〇六(平成十八)年七月四日、北朝鮮は七発のミサイルを乱射しました。声明に言います。
「日本は過去の植民地支配を反省するべきだ」
日本人は朝鮮を植民地にして、悪逆の限りをつくし朝鮮人民を苦しめた・この塗炭の苦しみから人民を解放したの
が、偉大なる「首領様」と朝鮮労働党である・という思考の制度が体制の正統性(レジテマシー)を支えています。
事実を言えば、金日成という人物の名はデタラメであり、本名は金聖柱(注1)といった匪賊でしたが、日成と同音のイルソン(一星)を名乗っていました。ソ連軍に担がれて北朝鮮入りする際に、伝説の英雄金日成の名をそのまま拝借したのです。
しかし、このような事実の指摘は、とんでもない妄説だと抹殺されるのです。
ことはことほどさように、不自由なものです。
また、「南京大虐殺」の話も中国共産党支配の正統性を支える重要な「事実」です。敗北した日本を軍事法廷の場でやっつける、復讐劇の台本として決議・決定されたのが「南京大虐殺」なのです。極東軍事裁判は、何ら司法的な法廷ではありません。後に譲りますが、「南京大虐殺」の嘘は徹底的に暴いておくのが日本人の歴史的な義務です。それをやっておかないと、とんでもない厄災が襲うでしょう。いや襲いつつあるのではないでしょうか。
一九九〇年代の後半、アメリカで立て続けに起こされた訴訟での対日本の請求総額はなんと百兆円に達していました(被告日本企業二十八社……原告は大戦中の米元捕虜・在米・中国人・韓国人・戦時中の強制労働等を理由とした損害賠償訴訟)。
二〇〇三(平成十五)年一月、米連邦高裁はサンフランシスコ講和条約によって賠償問題は解決済みとの理由で、カリフォルニア州地裁判決を破棄すると判決しました。この判決によって、二十八社の日本企業への請求は破棄されたが、実に危ういことでした。
私は末端の一部を支えたに過ぎませんが、歴史認識がいかに国家の命運と深く係わっているかを身にしみて痛感しました。原告たちは連邦最高裁に上告しましたが、棄却が確定しました(二〇〇六年七月)。
展開いかんでは、日本を代表する企業群は存亡の危機にさらされていました。百兆円もの賠償に耐えられる企業は、存在しません。
日本人は歴史認識の切実さを改めて知るべきです。ミサイル乱射という暴挙は、朝鮮植民地支配という歴史認識の疎外の上に立っているものです。「歴史は……自分の趣味ではない」などと歴史を疎外しないことです。歴史を疎外すると確実に自己のアイデンティティを疎外することになります。
下の図を見て下さい。
縦軸は「東京裁判史観への解析力」とし、横軸を「日本の省察力」としました。つまりは日本の反省力です。正しい歴史認識というのは、おそらくは第1象限にあるのだと私は思います。
第2象限は日本の反省がなく、東京裁判史観への批判のみがあります。自大ゾーンと名づけました。
つまり、ひたすらに日本は正しいとする史観です。

第4象限は自虐ゾーンとなります。自大ゾーンと対極にあるゾーンで、東京裁判史観への解析がなく、ひたすらに 日本が悪かったという史観です。そして、ひたすらに日本の反省の矢印が伸びるのです。
第3象限は、反省も解析もマイナスなのですから、論は成立しません。中韓から寄せられる歴史認識は、このゾーンのそれとみればいいでしょう。いいかげんな没論理しか存在しえないのです。そうした意味で「正しい」歴史認識とは、第1象限の論議しかないと判別するしかないのです。
『続日本人が知ってはならない歴史』若狭和朋著(2007年)
